自分の価値観を実現するための経営こそが最も合理的である理由

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こんにちは。
アップスタッツの飯山です。

 

今日は,
合理性について
考えていくことにします。

 

…といっても,
ここで言う合理性は,
私の理念や価値観に関する話です。

 

昨日の記事でも書いたし,
これまでに何度も書いてきました。

 

自分の夢や目標。
この人生において
実現したいものは何か。

 

それを実現する手段が,
経営というものである。

 

そんな話をしてきています。

 

 

では,
これはなぜなのでしょうか。

 

 

人によっては,
青臭いう夢物語だと思う人も
いるかもしれません。

 

経営など,
稼いでなんぼだ…と
思う方もいるかもしれません。

 

そうではなく,
私は単純に合理性で判断しています。

 

この点について
お伝えしていきます。

 

 

心の何処かで,
結局会社経営なんて
金を儲けてなんぼだろ…

 

なんて思いがある方にこそ
特に最後までしっかり読んでほしいですね。

 

 

自分の命よりも大事なもの

 

 

もう,10年以上前の話です。
…って書くと,
個人的に少々ショックですね。

 

私が長崎に遊びに行ったときのこと。
つまり…
「カピバラの聖地」
長崎バイオパークには,
10年以上行けていないということです。

 

 

話を戻します。

 

カピバラ詣だけでなく,
他の観光地も回りました。

 

その中の一つに…
有名な,

 

大浦天主堂とか
浦上天主堂あたりも
見に行きました。

 

そこには資料館があり,
当時の
切支丹キリシタンについて
いろいろな情報が書かれたパネルや
当時のものについて
展示してありました。

 

 

さすがに詳しくは覚えていませんが。
それでも,決して忘れられないものがあります。

 

 

実物の
「踏み絵」
です。

 

 

踏み絵とは…
切支丹にとって大事な開祖,
イエス・キリストをかたどった絵です。

 

当時,
キリスト教は禁教であり,
切支丹だと判明すると…
文字通り命に関わる事態になります。

 

 

取り締まる側は…
対象にその踏み絵を踏ませます。

 

躊躇なく踏めれば,
切支丹ではないと判断。

 

躊躇したり踏めなかったら…
それは切支丹だということです。

 

自らの開祖を足で踏みつける…
なんて真似は到底できるものでは
ない…ということなのでしょう。

 

 

実際に切支丹だった場合,
これを踏めば命は助かるが…
切支丹として大事な何かを失う。

 

踏まなければ…
殉教するかわりに,
自分の信仰は護ることができる。

 

 

そんな代物が…踏み絵です。

 

 

実際に踏み絵を前に,
切支丹たちは何を思ったのでしょうか。

 

その当たりの葛藤は…
創作ならば,
遠藤周作の「沈黙」を読めば
雰囲気はわかるかもしれませんが。

 

 

でも…本当に,
殉教するかどうか,
家族はどうするのか。
仕事は,人間関係は…

もちろん苦しいし死にたくない。

 

 

ただ,
それ以上に…
信仰を棄てることはできない。

 

…ということで,
踏み絵を前に,
殉教を選んでいった人たちが
どれほど多くいたのか。

 

そんな踏み絵の現物を目の当たりにして…
強烈な
「質量」
を感じました。

 

場の空気感に質量がある。
それくらいにくらく重苦しいものが
そこにありました。

 

あれから10年以上経ちますが,
鮮明に覚えています。

 

 

こんな話をしたのは…

 

人は,
自分のイデオロギーを守るためなら
自分の命すら天秤に掛ける存在だ,
ということです。

 

 

程度の差はあれど,
誰もが,イデオロギーを守るのです。

 

 

 

それくらいに,
イデオロギーはその人にとって
大事なことであり…

 

そのイデオロギーを守れなかった人の
人生は…どうなってしまうのでしょうか。

 

 

 

経営者のイデオロギー

 

 

さて。
話を戻します。

 

上述で,

 

「経営なんて,
結局はお金を稼いでなんぼだろ…」

 

なんて思う人もいるのではないか,
なんてことを書きましたが。

 

こお
「お金を稼いでなんぼ」
というコレすらも,
イデオロギーなのです。

 

このことに気づかないと,
いろいろと大惨事です。

 

人のイデオロギーに
下手に口出しして…
あろうことか,否定などしたら,
相手は命がけで戦争を仕掛けてくる…
かもしれませんからね。

 

 

私は日頃から,
人の考え方,あり方については
否定評価しないように
心がけているのは…
まさにイデオロギーを守る戦争を
引き起こさないための防衛策です。

 

この点も大事ですが。

 

なによりも,
自分のイデオロギーを
自分で認識してなかった場合
もっといろいろな問題が起きそうですね。

 

 

 

だから…
私は,
夢や目標なんて
言ってますが。
要するにイデオロギーの話です。

 

それを守り,強化,実現させるのが
経営である,ということであり…
経営は手段である,と考えるのです。

 

 

経営における合理性

 

 

さて,
ここで考えてみてほしいことが
ひとつあります。

 

 

経営者が自らの人生の中で,
経営に携わっている
「時間的割合」と比重は
どれくらいでしょうか。

 

 

会社員が
仕事をしている時間…
みたいなものではありません。

 

 

経営者として在り,
経営者として思考している時間も
含みます。

 

 

起業して…
引退するまで,
ほぼずっと,
「その時間」
だということになるのでは
ないでしょうか。

 

そう考えると…
経営者が自分のイデオロギーを
きちんと認識し,
それに沿って行動していないということは,
非常に恐ろしいことでもあrちます。

 

 

苦しいし辛いし…
自分の一貫性やあり方,
生き様に反することを
するということでもあります。

 

 

これって,
楽なのでしょうか。

 

たとえば,
上述の
「経営者なんて結局カネを稼いでなんぼ」
みたいなイデオロギー。

 

これが,
自分の心の奥底から湧き出る,
本当の気持ちであれば,
問題がないのですが。

 

何らかの誤解,
あるいは影響を受けて,
そのようなイデオロギーがある,
と思いこんでしまったら…

 

これは悲惨ですね。

 

お金を稼ぐよりも大事な何なにか。
自分の心の奥に眠る何かを封殺して,
金儲けに走る。

 

これって,ある種の生き地獄では
ないでしょうか。

 

それくらいに,
つらいことです。

 

 

そして…
その苦しみが…
経営者で在り続ける,
何年も…何十年も続くとしたら
どうでしょうか。

 

 

ここで質問。

 

自分が辛く苦しく,
好きではない…むしろ嫌いなことを
何年もひたすら続けるのと。

 

 

寝食を忘れてのめり込むくらいに
好きで楽しくてやりがいを感じることに
全力を尽くすのとでは…

 

 

どちらが「楽」でしょうか。

 

後者ですよね。

 

 

前者を選ぶよりも
後者のほうが圧倒的に楽だから,
それを選ぶほうが自然なのでは
ないでしょうか。

 

これが…「合理性」です。

 

 

青臭いとか,理念だけとか…
そう思うかもしれませんが。

 

青臭かろうがなんだろうが,
好きでもなんでもない,
思い入れも感じないようなことに
自分の人生をつぎ込んで苦しむよりも…

 

青臭さを貫いたほうが
遥かに楽で合理的では
ないでしょうか。

 

 

私は,
縁あってこのブログにたどり着いたあなたが
針のむしろを選ぶよりも,
楽に楽しく,何よりも
合理的な判断ができるお手伝いができればと思い,
このような記事を書きました。

 

まずは…
最初の一歩として,
自分の夢や目標。
あるいは価値観を見直して,
それが経営に繁栄しているかどうかを
チェックしてみてください。

 

あなたがより「アップスタッツ」な明日になりますように。
アップスタッツ 飯山陽平

 

追伸

 

じゃあ,それって
どうやってやるのさ。

 

…って思った方,

「どうやるの?」

とこちらからコメントしてください。
書くことは「どうやるの?」だけで結構です。

 

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