こんにちは。
アップスタッツの飯山です。
昨日は,
「美味しい」
と言わずに,いかに美味しさを伝えるか。
…という観点で
お伝えしたところ,
とても興味深いコメントを頂いたので,
紹介します。
こういう語彙の奥深さというか表現の豊かさは、
20年くらい前の小泉首相の「感動した!」で一気に失われた気がします。
この観点は,
とても興味深いですね。
実際,
「歴代総理大臣でも名キャッチコピーで有名」
という扱いであり…
「自民党をぶっ壊す」
とか,
「抵抗勢力」
なんて言葉も有名になりましたね。
ただ,
それはそれ,これはこれです。
以前から何となく抱いていて
違和感が合ったのですが…
このコメントを見て
「思い出した」
ので,その違和感を表現することにします。
お題は,言葉と影響力についてです。
以下,
言葉に関するマニアックな話ですが,
お付き合いください。
なお,
テーマとしてはあくまでも
言葉や語彙に関する内容です。
実在の人物や団体に触れますが,
支持・擁護する意図はありません。
小並感
サブカル用語…あるいは,
ネットスラングになるのでしょうか。
小並感なんて表現があります。
小学生並みの感想
を,単に省略しただけですね。
あらためて,
小泉首相の
「感動した」
という言葉。
これは,
大相撲の総理大臣賞を
授与する際に,
優勝力士に対して述べた言葉です。
千秋楽での取り組みで,
足を脱臼。
優勝決定戦において,
その脱臼した足で勝利し,
優勝した…という状況です。
その時の言葉が,
「痛みに耐えてよく頑張った。
感動した! おめでとう!」
です。
まさに,小並感ですね。
実際,
表彰式のコメントが
ダラダラ長く続くよりは
遥かにいいのですが…
でも,これはこれで問題です。
小並感だからまずい…
わけではありません。
平易でわかり易い言葉を使うことが
まずいわけでもありません。
国家元首という観点で見ると,
アメリカ合衆国の
トランプ大統領が,
とてもわかり易い言葉を使う…
という話を聞いたことがあります。
私自身は英語に堪能ではないので,
あくまでも,そういう見方がある…と考えた場合。
そして,
このブログでは,
特定の政治家,政党,政治主張を
支持擁護するわけでもありません。
では,
トランプ大統領がよくて
小泉首相の小並感が微妙なのは
なぜでしょうか。
あらためてみる日本語の特質
そもそも,
日本語そのものが,
「学ぶ」ことに関して
非常に高難易度と言われています。
しかし,
日本人にとって,
言葉は昔から紡がれてきたもの。
かつて,江戸時代においてすら,
識字率は70%を越えており,
歴史的な観点からの有名人である,
浦賀に来航したペリーがその識字率の高さに
驚いたという逸話もあるのだとか。
そんな日本語。
現代においては,
ひらがな
カタカナ
漢字…
そして,アルファベット(ローマ字)などが
日本人の使う言葉として
扱われてします。
そして…日本語を外国人が学ぶ際に,
牙を向く凶悪さは…
やはり同音異義語でしょうか。
同じ「発音」でも,
多岐に渡る意味があります。
この大量の同音異義語においても,
日本語によるコミュニケーションが成り立つのは,
日本が高コンテクスト文化だから。
コンテクストとは,「背景」とでも
訳せばいいでしょうか。
文脈や背景による
解釈の役割が高い文化が,
高コンテクスト文化と言えます。
例えば,
「バカ」
という言葉も…
相手を罵倒する意図もあれば…
恋人同士のじゃれ合いで使うことも
あります。
個人的には,高コンテクスト文化ならではの,
行動な言葉の使い方の例としては…
「遺憾の意」
でしょうか。
相手を罵倒しない程度に,
でも,自分は気分を害していることを
婉曲的に表現すると同時に…
それだけでなく,
もうこんなことが起きないように
改善する要求と…
そして,改善することができるという
相手への信頼と期待。
これらをまとめてぶち込んだ一言が,
「遺憾の意」
ということなのでしょう。
…私個人の解釈ですが。
そして,
こんな高コンテクスト文化が
日本語の魅力であり,
古来から伝わる日本の文化伝統,
意思伝達です。
日本においては,
愛情を伝えるために,
どれだけの表現法があるでしょうか。
さすがに
「月が綺麗ですね」
は…あまりにも恣意的すぎる表現ですが。
でも,たくさんありますよね。
昨日の「美味しい」と一緒で
いくらでも伝え方はありいます。
それが,低コンテクストな
英語になると…
I love you
のみとなります。
「感動した」の何が問題か
一方…
上述の
「感動した」
はどうでしょうか。
小並感と揶揄しましたが,
その小並感である理由は,
何ら裏表ない,
低コンテクストな表現法です。
小泉首相も,
トランプ大統領も,
政治家であり,
国家元首です。
※日本における元首とは誰かについては
諸説あります。
でも,
文化伝統,背景が違います。
上述の通り,
日本においては
昔から高い識字率を誇る
高コンテキスト文化です。
アメリカは,
移民の国であり,
低コンテクスト文化であり,
そして日本ほどの識字率が
あるわけではありません。
だから,
誤解を招かないような
わかり易い表現が大事です。
これが,
トランプ大統領が
わかりやすいシンプルな表現を使うのは
良くても…
日本の総理大臣がそれをやると
小並感…
小学生並みの感想
…と揶揄の対象となるわけですね。
この何が問題なのか。
高コンテキスト文化なのに,
影響力のある人が
小並感であることを是認してしまうことで,
同調してしまうことです。
言葉の奥深さ,
奥ゆかしさ…
日本語ならではの魅力ではなく…
アメリカのような
低コンテクスト文化の
わかりやすいシンプルな表現が
受け入れられ,魅力的である…
と評価されてしまうことです。
高コンテキストならではの,
背景を探り,考え,
最適な表現を選択する,
その思考力を奪い…
結果として…
「政治家が言うことはよくわからん」
みたいなことになって
政治への関心を薄れさせたり…
あるいは,
高コンテキスト文化において,
低コンテクストな表現をすることで
「本来伝えるべき情報が十分に伝わらない」
という弊害をもたらしてしまうのです。
単なる一般私人が
低コンテクストな表現を使うのは
いいのですが…
総理大臣という
影響力があるように見える人が
小並感な表現…
言葉は生き物であり,
時代を反映するものでもあるので,
やむを得ないといえばやむを得ないのですが…
小学生の頃から,
愛読書が辞書やことわざ慣用表現辞典。
枕元においてあり…
寝る前に寝落ちするまで
ずっと読みふけっている…
そんな子どもだった私から見たら…
まさに,遺憾という他ありません。
古き良き,
日本語の魅力が
これからも損なわれないことを
切に願いたいものです。
あなたがより「アップスタッツ」な明日になりますように。
アップスタッツ 飯山陽平