ブログ等で自分の記事が誰かを傷つけるかもしれない恐れと対処法

ブログ等で自分の記事が誰かを傷つけるかもしれない恐れと対処法

ブログ等で自分の記事が誰かを傷つけるかもしれない恐れと対処法
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こんにちは。
アップスタッツ合同会社の代表,
経営軍師の飯山です。

 

 

ブログ・メルマガ
SNSなどでの情報発信について
先月と今月に分けて
書き続けてきました。

 

アンケートの結果に基づいて
書き続けてきたこの一連のお題。

 

一旦,今日で完了です。

 

 

 

これまでは中で解説しきれなかった部分
もっと詳しく知りたい…
ということがあったら
是非コメントください。
また記事にて解説します。

 

 

さて。
今日のお題。

 

 

自分の発信によって
誰かを傷つけてしまうかもしれない
という恐れについてです。

 

 

これを最後に残したのは
私がずっと考え続けていたからです。

 

 

実際に質問の項目にはなかったのですが
「その他」欄に
コメントという形で
この内容を入れてくださった方が
いらっしゃいます。

 

わざわざそれを書くぐらいにまで
懸念していたということだと
推測されます。

 

 

 

昔から
「ペンは剣より強し」
という言葉はありますが。

 

ペンを凶器として
誰かを傷つけてしまうかもしれない。

 

 

その件について
今日は私が思うことを伝えしていきます。

いつもより長めですが
最後までお付き合いください。

 

 

 

カルネアデスの板

 

 

あなたはカルネアデスの板
というものをご存知でしょうか。

 

実際にあったわけではなく
議論の場での話だったらしいのですが。

 

 

たとえば
船が沈没して乗客が
海に投げ出された時に
一枚の板が洋上に浮かんでいたとします。

 

その板をつかめば
なんとか自分は沈まずに
助かるという状況です。

 

 

しかし,
周りにも自分と同じように
洋上に放り出されて
溺れてる人がいるわけです。

 

 

自分がその板を掴んでいる時に
他の人がその板を掴んだら
どうなるか。

 

自分一人その板を使って何とか
浮いていられる状況です。

 

他の人が
その板を掴んだら沈んでしまいます。

 

もちろん沈んだら
死んでしまいます。

 

この状況下において
自分がその板をつかんでいると
自分は助かる。

 

しかし寄ってきた人は助からない。

 

 

寄って来た人が板をつかむと
自分は助からない。

 

2人が板をつかむと
2人とも助からない。

 

という前提において
先に板を掴んだ人が
後から来た人に対して
板をつかませずに追い払った場合。

 

その人を死に追いやるわけです。
これは罪として問われるのでしょうか。

 

これがカルネアデスの板に関する議論です。

 

刑法だと緊急避難という条項がありますが。
それはさておき。

 

 

実はこのカルネアデスの板の
状況を扱った物語があります。

 

 

連載作品の中の
一つのテーマですので
数可決ほど連載されていた
一つのエピソードだったのですが
20年くらい前に読んだはずが,
今もよく覚えています。

 

 

内容は
観光船が転覆して…
最愛の家族を亡くした
ある男性の話です。

 

その家族は
最後に救命ボートをつかもうと
したところを追い払われて
溺死したということは
状況から分かっています。

 

追い払った人を最期に
掴んだ結果…イニシャルが刻まれた
キーホルダーを握りしめていたことも
分かっています。

 

実際に
誰がその家族を死に追いやったのか。

 

分からないから
イニシャルに該当する人を
片っ端から復讐して行った。
そんなエピソードでした。

 

 

結局
最後に
その家族を追い払って
死に追いやった人を
突き止めたわけですが。

 

その死に追いやった人は状況を理解すると
なんとも安らかな表情で
早く殺してくれと言わんばかりの状況でした。

 

 

救命ボートには
すでにたくさんの人たちが収容人数を超えて
乗り込み,しがみついて
いたわけです。

 

 

後からやってきたその人が
救命ボートを掴むと
転覆し,乗っていた人たち全てが
もしかしたら死んでしまうかもしれない。

 

その極限の状況において
究極の選択として,
その人を追い払った結果
亡くなってしまったわけです。

 

救命ボートに乗っていた人
全てを救った反面
一人を死なせることになってしまった。

 

 

果たしてこの人は
どんな気持ちだったのでしょうか。

 

 

それから10年以上経って
復讐される状況がやってきたわけですが。

 

10年間…
どれだけ悪夢にうなされ続けたことでしょうか。

 

 

詳しい描写は避けますが,
その人が
どれだけ苦しんだことでしょうか。

 

その状況下において
贖罪になるかもしれない。
そこに救いが訪れるかもしれない。
…という安らぎを得たわけですね。

 

 

それほどまでに
一人を死に追いやったことは
その人自身にとって
精神的な負担だったのです。

 

 

 

私もたまに
そんなことを
実感することがあります。

 

私は夢をよく見るほうなのですが
自分が殺される夢
自分が死ぬ夢は
割とよく見ます。

 

 

そのことに対して
大して物珍しさを
感じることもないぐらいに
自分が死ぬ夢は見て…
何も思うことはないですが。

 

 

例えば車を運転していて
誰かを撥ねてしまった時の夢は
朝起きた時にぐったりしてますね。

 

本当に呆然としてしまうぐらいに
強烈なショックを受けます。

 

 

それぐらい
人は誰かを傷つけてしまうというのは
負担になることです。

 

 

ですので
今回お寄せいただいたアンケートにおいて
自分が発信することで
誰かを傷つけてしまうのを懸念するというのは

 

 

非常に人間らしいものです。

 

 

だからこそ私は
このアンケートの回答を見て
しばらく考え続けてきたのです。

 

 

この回答に対して
私はどのように
とらえたらいいのだろうか。

 

 

結論自体はシンプル。

 

 

本当に恐れているならば
書かないのも選択の一つ。

 

それを誰かから
強制されるいわれことはないでしょう。

 

自分の決断で
書くかどうかを決めることです。

 

この結論自体
それ以上も以下もないですが。

 

ただ私自身が

 

 

「あなたのブログで誰かを傷つける可能性が
あると思いますがそれでもあなたは書くのですか?」

 

 

と問われたとしたら
どのように答えたらいいのか。

 

この点が私にとって
模索していた答えとなります。

 

結論自体は
私は書くということ選んでいますが。

 

そこまでして
なぜ書くのか。
どのような理由で書くのか。
結論に至る過程が
今回の本当のテーマでしょう。

 

 

 

ある子どもが自殺した理由

 

 

これもある人から聞いた話です。

親が子供に対して

 

 

「人に迷惑をかけるような生き方
は絶対にしてはいけない」

「人に迷惑だけは決してしてはいけない」

 

 

日頃からずっとそう言い聞かされてきた子どもが
ある日,自殺したそうです。

 

遺書には

 

 

自分が生きてることで
必ず誰かに迷惑をかけてしまうことが
明らかになったので
どうやっても
これ以上生きていくことができません
これが最後に迷惑をかけることになります
ここで死ぬことにします

 

といった内容だったそうです。
伝聞なのでこれが本当かどうか分かりませんが。

 

 

思春期ぐらいの子供だったようで
まだ物事の判断力が
それほど鍛えられて
いなかったのでしょう。

 

 

そう言う親こそが
周りにどれほど迷惑をかけているか
ということに
気付けなかったのでしょう。

 

 

迷惑という表現を
使うかどうかはともかく。

 

人は人に対して
影響を与えます。

 

それが良い影響もあれば
悪い影響もあります。

 

ここで言う
「迷惑」という言葉を
使うならば…

 

どうしても人に迷惑をかけなければ
生きてはいけません。

 

生きているだけで
誰かに悪い影響を及ぼしてしまうことは
どうしても避けられないのです。

 

面倒なこと
厄介な思いをさせてしまった。

 

どうしてもあります。

 

避けて通れないのです。

 

不本意であっても
迷惑をかけてしまうとしたら
どうするどうすればいいのか。

 

この子どものように自殺すればいい
ということではなく

 

それ以上の価値や貢献を出来るように
心がけるというのがひとつの
考え方はないでしょうか。

 

 

ブログ,SNS
メルマガなどに限らず
生きていれば誰かしら
迷惑をかけてしまう。

 

 

これは避けて通れないのです。
そして当然ブログなどにおいて
誰かに迷惑をかけてしまったり
傷つけてしまうことも
あるかもしれません
それも起こりうることなのです。

 

 

ですが
それ以上に価値を提供
できればいい…

 

という話がひとつ。

 

もうひとつが…。

 

カルネアデスの板とまでは
言わないですが

 

もし私が記事を書き続けることで
誰かに嫌な思い
傷つけてしまったことが
起きてしまうかもしれない。

 

このことと…

 

マーケティングや
セールスライティング
集客売上アップの話を
私が書いていたら
私の記事を見て
そこに書いてあることを
実践して
会社を立て直すことができたかもしれない。

 

従業員に十分な給料を
払えるようになったかもしれない。

 

ブログを通して
私と直接知り合うことによって
私のコンサルティングを受けて
ずっと抱えていた問題を
解決できるきっかけになるかもしれない。

 

 

私がブログを書かなかったら
そのきっかけは生まれないのです。

 

…ということは
私のブログを通して
私が価値を提供し
貢献することが
できたかもしれない。

 

誰かを傷つけるかもしれないけれど
誰かを助けることも助ける機会も
なくなってしまうのです。

 

 

私はこの二つを
カルネアデスの板にたとえて
両天秤に乗せた結果
誰かを傷つけてしまうかもしれないけど
それ以上に
私が貢献できる
力を尽くせる
助けられる人を
助けたい。

 

悪質な同業者に騙されて,
本当に打ち手が亡くなってしまうような会社が
1社でも減るかもしれない。

 

そんな思いで書き続けることを
選んで選んだのです。

 

私はそう決めて
書いています。

 

これは私がそうしたいから
そうしているわけであって
他の人がそうすべきかどうか
それは個人で考えることです。

 

これを機会に
何のために書くのか。
私はこのアンケートをもとに
あらたて確認することができました。
本当に感謝しています

 

 

 

出来る努力をする

 

 

 

最後に。
だからと言って
好き好んで誰かを傷つけたい
そんなことはありません。

 

ブログを発信することで
誰かを助けるかもしれない
という免罪符で
誰かを好き放題傷つけるような記事を
書きたいわけではありません。

 

 

だとしたら
何ができるのか。

 

より正確な
文章を書けるように
努力することです。

 

 

言葉というものは
使い方によっては
誰かを傷つけることもありますが。

 

 

精確に使えば使うほど
そういった事態は減っていくものです。

 

 

例えば,
包丁の扱いが下手な人だったら
怪我をするかもしれないけれど
プロの料理人が包丁で怪我をする頻度は
限りなく少ないでしょう。

 

 

同じように
言葉を使い方が
精確になればなるほど
傷つける頻度は減っていくことでしょう。

 

 

だからこそ
言葉というものをきちんと
使いこなせるように
日々努力していく。

 

自分が伝えたい意図を
いかに正確に伝えられるようになるか。

 

 

そのことに力を入れて
書き続けることができればいい。

 

そう願って今日も
ここまで書きた次第です。

 

 

以上。
重たい長い内容になりましたが。
これにてアンケートに
ご協力いただいた内容について一通り
触れました。

 

 

改めてアンケートに
ご協力頂きまして,
心からお礼申し上げます。

 

 

あなたがよりアップスタッツな明日になりますように。
アップスタッツ合同会社 経営軍師 飯山陽平

 

 

お知らせ

 

来週からまた
アンケートを
実施予定です。

 

今度は集客関係に関するアンケートを
予定しています。

 

集客に多かれ少なかれ
興味関心がある方。

 

 

解決したい問題がある方は
ぜひアンケートにご協力頂けましたら幸いです。

 

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