好きかどうか。
別に好きでなければいけないということでもないし、嫌いであってもいけない、というはなしではありません。
そんな前提でちょっと考えてみてください。
例えば、私はコピーライターです。
コピーライターである以上、
「書くことが好きでありたい」
とは思います。
そこで。
「私は書くことが好きです」
などと人前で話したりプロフィールや名刺に書いてみたり…と繰り返したらどうなるでしょうか。
おそらく、
「ふーん…だから何?」
で終わりそうです。
では。
私がブログ記事を書いてアップし、Facebookに載せるとします。
それを見た知人と会って話した時に、
「どれくらい書いているの?」
と聞かれます。
「そうですね…最低1年は書かないと…とと決めて、2年くらいはほぼ毎日書いてます」
などと答えます。
すると、
「よく毎日続きますねぇ」
と言われます。
そこで、
「まあ確かに。好きじゃないとここまでは続かないでしょうね」
と言ったとします。
さて。
この前者と後者では、どちらが説得力があるでしょうか。
単に、
「文章を書くのが好き」
と言っているだけ、あるいは書いているだけ。
または。
ほぼ毎日ブログを更新し続けて2年目。
「好きじゃないと毎日は続かない」
という。
おそらく、後者のほうが説得力や信ぴょう性があるのではないでしょうか。
これが、
「言う」のではなく「見せる」
ということです。
「好き」
ということ自体は、実際に手にとって見ることはできません。
けれど、毎日ブログを書き続け、2年間の730件(365日×2年分)の記事数は見ることができるのです。
ジェイ・エイブラハムの「卓越の戦略 上級編」において、
「「言う」(Tell me)よりも、実際に「見せる」(Show me)という方 が、遥かに強力である」
と述べています。
この観点から、いかに
「言う」
のではなく、
「見せる」
のか。
これを描くことが、コピーライティングにおいて必要となります。
例えば。
ある整体院で施術を受けるとします。
「気持よかった」
「効いた」
と口で言っただけでは、説得力に欠けます。
では。
「腰痛がひどくて椅子に座っていられなかった。施術を受けた翌日、8時間の講習でずっと椅子に座っていることができた」
実際に、講習を途中退席することなく講習を受けた、という事実が
「見せる」
役割を果たしているのです。
では。
いつもの定番ですが。
「おいしいラーメン」
これを「おいしい」と言わずに「見せる」にはどうしたらいいでしょうか。
ちょっと考えてみてください。
どうでしょうか。
考えてみたでしょうか。
正解不正解ではなく、実際に頭を使うことに価値があります。
考えてみてください。
いくらでもやりようはあるでしょうけど。
一つの方法として「お客様の声」を載せます。
「週に2回は食べないと気がすまない。かれこれ3年は通っている」
こんなお客様の声があったらどうでしょうか。
ここにはひとことも「おいしい」とか、直接的に味を称える表現はありません。
ですが、週2回3年間通っている、という出来事が、実際にその「おいしさ」を見せているのです。
最後に。
再び卓越の戦略上級編から。
「クライアントが声に出して言わないだけで、実際のところ、「言うのでなく、見せてくれ」と言っているか、考えている」
とのこと。
どうすればいうのではなく見せられるのか。
真剣に考えてみてください。
考えて書き出して、それをコピーにして広告宣伝にしてください。
ライバルが、
「おいしい」
とか、
「早い」
とか、
「安心」
「安全」
「丁寧」
「信頼」
と言った、いかにも無難で耳障りのいいだけで、実態の何もない単語を並べています。
並べれば並べるほど、胡散臭くなることに気づいていません。
そんな中で、クライアントのために
「言うのではなく見せる」
ことを実践したらどうなるでしょうか。
よほど
「安心」
できるでしょう。
よほど
「信頼」
できるでしょう。
これが、言うのではなく見せるということです。
当然、言葉だけで見せられるものではありません。
本当に見せるにはそれなりの覚悟は必要になります。
「当社にまかせていただければ安心です」
と書くより、
「返金保証をつけます」
と書くほうが「言うのではなく見せる」ことになります。
そして、返金保証をつけるということは、本当にクライアントに対して「見せる覚悟」がないとできないことでもあるのです。