1925年のある日。
一つの伝説が始まりました。
それは、ジョン・ケープルズというコピーライターが、世に名を上げた時です。
コピーについて、ちょっと勉強したことがあるならば、目にしたことがあるかもしれません。
「ピアノコピー」と呼ばれるヘッドラインです。
「私がピアノの前に座ると、みんなは笑った…けれど、弾き始めると」
They laughed When I Sat Down At the Piano But When I Started to Play!-
非常に強力な、このヘッドライン。
使いやすいので、いわゆる「スワイプファイル」として、パクる人も多々います。
スワイプファイルとは、敢えて訳すならば
「借用ファイル」
とでも言うのでしょうか。
そのコピーの発想、アイディアなどを借りてきます。
別の言い方をすると、パクりです。
一字一句同じになるようにパクっても意味はありません。
場合によっては訴えられるなどといったこともあります。
ですので、上手く「創造的模倣」をするために使われます。
アイディアをゼロから考えるよりも、過去に上手く行ったアイディアから借りてきた方が、反応を得やすいものなのです。
ただ、問題もいくつかあります。
元ネタを知っている人は、
「あ、またコレ系か」
「安っぽいパクリ…」
などと思われることです。
これ自体は、業種業態によるのでなんともいえません。
例えば、コピーライティングの商材を売る時に、このコピーをパクったら、すぐにバレるでしょう。
ですが、本気で
「商品さえよければ、宣伝などせずとも売れる」
という信仰心が篤くはびこっている業界ならば、とても効果的でしょう。
この問題点は、さほど大きいものではありません。
ただ、別の大きな問題点があります。
それは、このスワイプファイルの本質を理解していないままパクることで、不発に終わることです。
ある人が、このスワイプファイルをパクって…確か、こんなコピーにしていたと思います。
「私がAをはじめると、Bは疑わしげに私を見た。けれど、うまくいくとBは泣いて喜んだ」
例えば、ある母親が、小学校受験させるための、特別の塾に入れようとしたとします。
孫がカワイイ祖母は、「お受験なんて…」と嫁いびりです。
ですが、いざ合格することで、将来の超一流大学入学が約束されたような状況になりました。
それを見て、孫の将来が安泰になったBは、泣いて喜んだ。
こんな筋書きです。
これでは、この「ピアノコピー」の本質を台無しにしています。
このピアノコピーの本質は何でしょうか。もう一度、コピーを読んで考えてみてください。
「私がピアノの前に座ると、みんなは笑った…けれど、弾き始めると」
They laughed When I Sat Down At the Piano But When I Started to Play!-
このコピーの本文の中に、サブヘッドラインがあります。
「完全なる勝利」
A Complete Triumph
です。
勝利、と一言に言っても、VictoryではなくTriumphです。
辞書によると「勝ち誇ること」という意味があります。単なる勝利では足りないのです。
このピアノコピーの本質、それは
「大逆転勝利」
です。
しかし、その奥にある、人の感情にスイッチを入れる本当のトリガー。
それは、「復讐」なのです。
ピアノの前に座ったときに、嘲笑われた状況で、ピアノを上手に弾いてみせることで、その嘲笑した人を唖然とさせたのです。
見返してやった、という爽快感が、このピアノコピーには込められているのです。
先ほどの、劣化パクリ版では、この復讐や爽快感はあったでしょうか。
姑にネチネチ言われた嫁が、その姑にギャフンと言わせた下りはあったでしょうか。
「孫の将来を喜んで涙を流した」
という美談っぽく終わらせてしまうことで、その機会を失っているのではないでしょうか。
孫の将来を喜んでいる姑に、「ざまあみろ」と言うことは出来るのでしょうか。
このスワイプの仕方では、このコピーの奥にある本質を失った、文字通り劣化コピーなのです。
そして、そのような劣化コピーが出回った結果、
「スワイプファイルを使っても効果はない」
状況になってしまったのです。
スワイプファイルが効果がある、とかない、ということではありません。
それ以上に大切なのは、いかに人の感情を揺り動かせるかどうか、です。
ここでの感情を揺り動かすスイッチは、どん底からの逆転勝利であり、復讐を成し遂げたことによる爽快感です。
最後に。
人は、ストーリーがないと、生きられない生き物のようです。
でなければ、ギリシャ神話など、今の世の中に残っていないでしょう。
紙も印刷技術もないまま、口伝だけで何千年も語り継がれているのは、それだけの魅力があるからに他なりません。
ピアノコピーの秀逸さは、この1行のコピーで、その背景にある物語の世界観の片鱗までを描写していることです。
片鱗で十分です。
片鱗でも世界観を描き、ストーリーへ引き込めば…人はもう読まずに入られません。
ヘッドラインの役割は、本文1行目を読ませることです。
ですが、このピアノコピーは…最後まで読まずにはいられない魅力がそこにあります。
ここまでの世界観やストーリー性までパクれてこそ、初めて「スワイプファイル」の活用なのです。
一昔前ならば、世界観も何もない劣化コピーでも通用したかもしれません。
ですが、今はもうダメです。
そこまで出来ないならば…自分の本来の言葉、本音で勝負したほうが、まだそこに人を動かすエネルギーが生まれるかもしれません。
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