様々な経営者と会って、どんな悩みを抱えているのか、聞いて回っています。
その中で、割と多く聞くのが「人が足りない」というもの。
特に、建設業は深刻です。
民主党政権下で、公共事業を一気に削減。
その結果、廃業したり転職して、建設業に携わる人が一気に激減。
その後、自民党政権に戻り、オリンピック開催もあって、建設業では深刻な人手不足に陥っています。
運送業も、人が足りていません。
ネット通販の拡大で、配達件数はどんどん増えています。
特に、一部地域では当日配達エリアなるものがあり…注文したその日に届きます。
そのためには、相応の人出が必要です。
…しかし、運送業は人が足りず、ドライバーよりもトラックのほうが多いくらいです。
先日、とある業種の社長が、求人広告を紙面に掲載。
その写真を撮って、SNSにアップ。
SNSからもアプローチする、という意図でしょう。
その後しばらく経ってから、その社長と会って話す機会がありました。
その時に、
「求人募集に応募はありましたか?」
と尋ねてみたところ、全然応募がない、とのこと。
間が悪くて、その社長とはその場でそれ以上話ができませんでした。
ただ、言えるのは…
「まあ、あの求人広告で人は来ないだろうな」
ということ。
今日の件名は、
「求人広告で「物」を集めようとする人たち」
です。
まさに、この社長は、求人広告で「物」を集めようとしていたのです。
定義【人間】
人柄。また、人格。人物。
いくつかの定義がありますが、こんな意味もあります。
人である以上、その人は人格や人柄、人物像は当然持っているはずです。
人は物ではありません。
感情をもっており、血の通った生命体です。
決して「物」…単なる無機質の物体ではありません。
当たり前です。
ならば、なぜ求人広告で無機質な物体を募集しているのでしょうか。
具体的には、
・時給
・勤務地
・業務内容
・福利厚生
などといった「データ」ばかりしか書いていないのでしょうか。
そんな「データ」でしか判断できないような「物」を集めようとしているのでしょうか。
繰り返しますが、人は物ではありません。
こういった「データ」だけで労働力を集めようとしているのであれば、ロボットや機械を集めるのと一緒です。
今の時代、機械にすら感情がある…ように感じます。
iPhoneやiPadなどをお持ちの方は、一度Siri(秘書機能アプリケーションソフトウェア)に向かって
「Siriの役立たず」
とでも言ってみてください。
きっと、罪悪感をえぐる回答がされることでしょう。
たかが秘書機能アプリケーションソフトウェアですら、感情を持っている…ように感じるのです。
実際に存在する一人の人間について、どうして「物」のように扱うことができるのでしょうか。
人を物のように扱うその人は、他の人から物のように扱われても仕方がないでしょう。
具体的には、
「ああ、またコレ系の求人ね」
とすら意識されずにスルーされるだけ。
なぜなら、人は人だからです。
人は感情を持っており、嬉しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば凹んだり涙をながす存在です。
誰だって自分を「データ」だけで判断される「物」として扱われたいはずがないでしょう。
そんな、「物」を集めるがごとく求人広告を出しても、反応はありません。
なぜなら、求人広告は「人」を集めるものであって「物」を集めるものではないからです。
ではどうすればいいのでしょうか。
単純に時給だけで動くロボットが欲しいのであれば、ロボット生産メーカーに問い合わせて下さい。
求人広告で「人」を求めているならば、人を求めるための広告コピーにすればいいだけの話です。
人と人とのコミュニケーションにおいて普通になされるやり取りをすればいいだけの話です。
具体的には、どんな人と一緒に働きたいのかを明確にします。
その上で、その人の興味を引きそうなコピーを書けばいいだけの話です。
いわゆる「集客」として、顧客獲得のためには様々な努力をする企業があります。
そんな企業に限って、求人募集に限っては、「求人」も「集客」も人を集める、という点では変わらない、というkとを忘れてしまうようです。
今の時代、多くの企業が忙しさのあまり、心を失っています。
忙しいとは「心」を「亡くす」と書きます。
心を亡くした求人広告に誰が反応するのでしょうか。
今日のブログを読んで、少しでも
「参考になるな」
「役に立ちそうだな」
「読んでよかったな」
と思えることがあったら、ぜひあなたの友達にもお役に立ちたいので、Facebook「いいね」や「シェア」にご協力をお願い致します。