言えば言うほど不安を煽るコピーの正体

言えば言うほど不安を煽るコピーの正体

言えば言うほど不安を煽るコピーの正体
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ここ数日、Facebook上で、ある「診断結果」を投稿する人が増えています。
「私がFacebookでよく使う言葉は?」というものを診断するアプリか何かのようです。

技術的な内容はよくわからないので、私のわかること、そのわかることに対してどう思うのかを書きます。

結論としては、
「極めて怪しい」
もの。
様々な情報を抜き出して、どんな悪用をされるかわかったものではありません。

なぜそのような結論に至ったのか。
それは、あまりにも胡散臭いコピーと、その胡散臭さを裏付ける原因があったからです。

まずは、クリックしてアクセスしてみました。
すると、こんなメッセージがWEB上に出ていました。

「Vonvonは全世界1億人が使用している安全なサービスです。
vonvonは利用者の利便性と情報保護を最優先しております。 利用者が提供する全ての情報は診断のためにのみ使用され、個人情報が他の目的で収集及び活用されることは一切ございません。 アメリカ、イギリス、スペイン、韓国、台湾、ベトナム、インドネシア、ブラジルなど、数多くの国で愛されているvonvonはより一層面白く安全なサービスを提供するため日々努力しております。 信頼できるvonvonをぜひ安心してお楽しみくだざい! 暇つぶしにはvonvon~」

読めば読むほど怪しく胡散臭くなります。

酔っ払っいが「酔っていない」と言えば言うほど、信ぴょう性をなくします。
「浮気をしてない」と言えば言うほど信ぴょう性をなくします。

仮に、離婚訴訟などの場合、対立当事者が
「浮気をしたこと」
を立証しなければなりません。
なぜなら、「浮気をしていない」ことを証明するのは不可能だからです。
訴訟という裁判機関を利用して、決着をつけるという選択をした以上、どちらが証明しなければいけないのかも、そのシステム(ここでは裁判)に従うことになります。

では、裁判では「疑いは晴れる」のでしょうか。
裁判で、離婚する、しない、という判決が出た時に、その問題は解決するのでしょうか。
具体的には、「浮気したから離婚する」という主張に対して、「浮気していない」と反論。
裁判の結果、「浮気したと証明されなかったから、離婚は認めない」という判決が出たとします。

これで、「浮気したから離婚」と主張した側は「納得」するでしょうか。
裁判官が「浮気したとは認めない」と言えば、「本当に浮気していなかったんだな」と思えるでしょうか。

この疑いは、ある意味感情的なものであり、理屈で払拭できるようなものではありません。

先ほどの話に戻ります。
「安心」「安全」を繰り返し主張し、そのために国名や1億人、という表現で補強しようとしています。

Facebook上では、この会社が
>個人情報を一切保存しておりません。
>個人情報を保存していないので、販売することもできません。
と投稿してあります。

では、これは信じられるのでしょうか。
実際に、この「診断」アプリを使いにあたって、次の情報の提供が必要です。

「公開プロフィール (必須)
プロフィール写真、21歳以上、男性、その他の公開情報

友達リスト

タイムライン投稿
Your posts, posts you’re tagged in and the posts people make on your Timeline」

「私がFacebookでよく使う言葉は?」というものを診断するにあたって、友達リストまで提供しなければならないのでしょうか。

この、やろうとしていることと、言葉の組み合わせ。
これが、胡散臭くさせているのです。

「安心」「安全」を執拗に繰り返して…結局は関係ない友達リストまで情報を抜こうとしている。

そのように感じられるのです。
本当に、この会社が個人情報を抜いているか抜いていないか、という事実はここでは問題ではありません。
単純に「そのように胡散臭く見られる理由」について述べています。

人は、言葉と行動では、行動を信用します。これは前に書いたとおりです。では、行動よりも、さらに優先して信用するものは何でしょうか。

それは「一貫性」です。
結局のところ、言葉と行動が一致しない場合、「一貫性」がないから、信用出来ないのです。
信用出来ない結果、「より疑わしい」と思えるのはどちらかを判断します。
結果として、「言葉」を疑いやすくなるのです。

一言で言うと、一貫性。これが信ぴょう性の全ての源です。

先日の記事で、私は「文章を書くのが好き」ということを書きました。これはあくまでも私の気持ちであり、本当か嘘かということでもなく、どうしても信じてもらいたい、という種類の話ではありません。

ですが、仮にこの私の思いを信じてもらおうと思ったとします。
その場合、もし他に文章が全くアップされていなかったら、
「本当に好きなのだろうか」
と疑われるのではないでしょうか。

今のこのブログと、これ以前のブログで900件を超える記事を、毎日1つずつ、しかも1記事1500文字以上の量を書き続けてはアップし続けているから、
「文章を書くのが好き」
という個人的な思いをアップすることができるのです。

これが、一貫性の一例です。

最後に。
Facebookの技術的な内容や、その真偽については、ここでは主題ではありません。
その真偽を追求することは意図していません。
ただ、敢えて言うならば、この手のアプリは十分に調べた上で自己責任で、リスクを承知の上ご利用下さい。
私個人的には、Facebookでこの手のアプリはなるべくやらないようにしています。なぜなら、基本的に、ブログの更新や、カピバラを中心に投稿する、と決めているからです。
その背景にあるのが、投稿内容の一貫性なのです。

 

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セールスコピーライター 飯山陽平

 
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