【中年】
青年と老年の中間の年頃。40歳前この頃。壮年。
(広辞苑より)
この定義に基づくならば。36歳(本日時点)の私は中年になるのかならないのか。
【前後】
だいたいそのくらい。あたり。付近。
(広辞苑より)
では、私が中年の範囲だとして、このコピーを見た時に、反応するでしょうか。
正直に言います。
反応します。
思わず、イラっとしました。
これもひとつの反応です。
とはいえ、これは広告主の欲しい反応ではないでしょう。
では、これの何が問題なのでしょうか。
ものの例です。
年寄りが、
「最近の若いものは…」
と言ったら、それを言われた側は、イラっとするでしょう。
反対に、若者が年寄りに、
「これだから老害は…」
と言ったら、やはりイラッとするでしょう。
会社内で、中間管理職が、特定の年代の人に、
「これだからゆとり世代は…」
といえば、反感を買う事必至です。
同様に。
「これだから団塊世代は…」
と言ったら、やはりイラっとされることでしょう。
これらのなにが問題なのか。
相手を、
「人」
としてみていないのです。
「ゆとり」
とか
「団塊」
とか、そういったレッテルを貼って、相手個人を人として捉えていないのです。
節制と健康管理を心がけて、20代後半くらいの若々しい雰囲気を保っている40歳の人がいるとします。
その人は、健康管理が自分の仕事の生産性にどれだけ大きな影響を与えるかを十分に知っています。
相手に若々しい雰囲気を見せることで、セールスの営業成績にどの程度効果をもたらすかも熟知しています。
その上で、仕事上の付き合いで飲みに誘われたら…翌日には必死になってランニングを行い、節制をしています。
そんな人に対して。
他の人と同じように十把一絡げにして、
「中高年の男性へ」
などと呼びかけたらこの男性はどう思うでしょうか。
日頃、好きなだけ飲んで食べて、時間の許す限りゴロゴロして…だらしのない外見を晒している…その結果、営業成績を下げて、その課のお荷物になっている、そんな人と同じカテゴリとしてレッテルを貼られたら、この男性はどう思うでしょうか。
…あまり、外見的なことを書くと、ブーメランになって戻ってくるので、別の例にします。
ある社長がいます。
無能な社員に苦しみ、でもどうしたらいいかがわかりません。
対症療法的な解決策として、自分がもっと働く、という
「根性論」
で切り抜けようとしています。
1日の労働時間は14時間〜15時間。
休日もろくにありません。
自分の給料(役員報酬)を時給換算すると、吉野家で牛丼を食べることすらできません。
それでも、そんな状況を抜けだそうと、ただでさえ忙しい時間の合間を縫って、マネジメントの勉強をして、社員の生産性を高めようとしています。
その結果、少しずつ社員の生産性があがり…結果として、ますます社長の仕事が増えます。
売上とか利益とか、そんなこと以前に、目の前の仕事をひたすらこなすしかない状況になります。
その結果として、集客やセールスに対する時間や精度がさがり、売上が下がります。
そんな時に。
日頃から、飲んだくれてばかりで、大した仕事をしていない、別の社長が、
「これだからアベノミクスは失敗なんだ。ちっとも俺たち中小企業に恩恵が回ってこない」
とくだを巻いていたらどう思うでしょうか。
この2人は、外形的には
「なかなか売上が伸び悩んでいる経営者」
です。
だからといって、前者の社長は、後者の社長と一緒にはされたくないでしょう。
当たり前です。
無職の人がいます。
これまで一生懸命働いてきましたが、事業所閉鎖に伴う整理解雇の憂き目に合います。
年齢がネックになり、なかなか再就職できません。
何社も何社も応募し続けては不採用。
合間を縫って、勉強をして資格をとったりスキルアップしたりしていますが、年齢の壁は大きく、なかなか採用には至りません。
一方。
同じ事業所で整理解雇を請けた人がいます。
年代も同じです。
彼はさっさと諦めて、生活保護を受給しながら、たまにハローワークへ行き、求職活動をしているふりをします。
あとは、家で飲んだくれてゴロゴロ。
彼は、
「どうせ俺のような年になると、なかなか就職なんて決まらないから」
などとうそぶいています。
そんな彼らをまとめて、
「年齢がネックになって、就職が決まらない人へ」
なんて呼びかけたらどうなるでしょうか。
前者の人は大いに気分を害することでしょう。
「あいつとだけは一緒にしてほしくない」
と思うことでしょう。
例をだせば切りはないのでこれくらいにしておきます。
これが、
「中高年の男性へ」
と呼びかけることの問題点なのです。