わからないということから得られる恩恵

わからないということから得られる恩恵

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突然ですが、ここで算数問題です。

これから、私は札幌に車で向かうことになったとします。
今いる場所から、札幌までは90キロです。
移動速度は平均時速40キロだった場合、到着まで何分掛かるでしょうか。

90キロ÷時速40キロ=2.25時間。
2.25時間×60分=135分。

ということで、135分(2時間15分)掛かります。

ここで、この正解にたどり着くために必要なデータは、次のとおりです。
(1)現在地から目的地までの距離→90キロ
(2)平均移動速度→時速40キロ
(3)1時間=60分
(4)掛かる時間を求める計算式→時間=距離÷速度

この(1)から(4)までのデータが1つでも欠けていたら、正解にたどり着くことはありません。

では、この(4)の計算式はどうやって発見されたのでしょうか。
ネットで調べてみたのですが、わかりませんでした。

おそらく、(1)〜(3)のデータを元に、(4)を推論して実証したところ、この計算式で間違いはない、ということになったのではないでしょうか。

もちろん、真実かどうかはわかりません。
それが真実かどうかは、今日のブログではさほど重要ではないので、詳細は省略します。

ただ、ここで考えるべきこと。
それは、幾つかの事実から推論を導き出して、新しい結論にたどり着いた、ということです。
…ということを言いたいがために、わざとらしいまでの算数の話を持ち出しました。

別の例を紹介します。
例えば、自動車教習学校があるとします。
そこで、統計を取ります。
3ヶ月間の統計値として
(1)「入学生」の数は、15%ずつ増加して推移しています。
(2)「卒業生」の数は、変わらずに推移しています。

この2つのデータから何が推論できるでしょうか。
教習所ではなく、学校で考えてみるとわかりやすいかもしれません。
1学年150人の学校において、150人入学して、100人卒業したら、それは何を意味しているのか。
それは、50人留年している、ということになります。

教習所においても、本来100人入学したら、100人卒業しなければならない…はずです。
入学生自体は15%ずつ増えているのに、卒業生が増えていないのであれば、その15%の人は留年もしくは退学していることになります。

そこからわかるのは、教官の指導に問題があるのではないか、という推論です。
教え方に問題があるから、入学生の増加同様の推移が起きないのではないでしょうか。

このように、個々のデータからを関連付けて、何らかの推論を導き出すことを「帰納的推論」、帰納法と呼びます。

帰納法は、論理的な筋道を立てて説明できるので、非常にわかりやすくなります。
私自身も、基本的に機能的な立場に立って、セミナーなどでは解説します。

わかりやすいことが強みで反面、
「常識の枠」
に捕われて抜け出しづらい、という弱みもあります。
帰納法、そしてわかりやすさの弊害がここにあります。

この帰納法の反対が演繹(えんえき)法です。
演繹法は、目の前の出来事や物事から仮定を積み重ねて推論を導き出す考え方です。

例えば、
「最近教習所内が混んでいる」
という出来事から、
「教官の指導が悪いので、卒業できない人が増えている」
という推論にたどりつくような感じでしょうか。
ヒラメキやアイディア的な、ある意味飛躍が必要になります。

帰納法で考えると、すっきりしてわかりやすくて納得します。
ですが…それでは限界が必ず訪れます。
壁にぶつかります。
モヤモヤしてイライラして、すっきりしません。
そんな時に…帰納法的なアプローチで、論理立てて考えても、納得はしてもその壁は超えられないのです。

ではどうすればいいのか。
耐えるしかありません。
その気持ち悪いモヤモヤと共に過ごすしか無いのです。

個人的な話になります。
ここ1週間ほど、世界ナンバーワンマーケティング・コンサルタント、ジェイ・エイブラハムの、あるマーケティング・コンセプトを学んでいます。
学んでいるのですが、ちっとも理解できません。

それは、「リレーショナルキャピタル」という、ジェイの新しい戦略です。
これは彼のマーケティング戦略の「奥義」でもあり、「最終兵器」に相当するレベルのもの…だそうです。
そのコンテンツを読んだり聴いたり視たり…。
図に書いてみたり、わからない単語は辞書で調べたり…。
動画コンテンツを文字起こしして…日本語訳がわかりづらいのが原因だと判断。
スクリプト作成機能で、英文にして、その英文を辞書で調べて翻訳して…
ちっともわかった気になりません。

私の頭に欠陥があるから…というわけではない、と信じたいところです。
一応、大学は卒業して、仮にも司法書士試験(当時の合格率2.6%)という国家試験に合格できる知性はある…と思われます。
勉強だけでなく「勉強の仕方」も学んでます。
…それでも、わからないのです。

これだけわかりづらいのは、同じくジェイ・エイブラハムの「卓越の戦略 上級編」を読んだ時以来です。
これも、本当にわからなくて大変でした。六法全書を読むほうがずっと優しく感じました。
1日1回30分掛けて音読を100日間繰り返しても、未だに「わかったような感じ」しかつかめません。
完全に「なるほど!!」と腹落ちした気にはならないのです。

非常に気持ち悪く、モヤモヤします。
…でもしかたがないのです。

「あ、そういうことね」
と、「わかったつもり」になっても仕方がありません。

わからないまま、耐える。
いつの日か「ユーレカ※」にたどり着くまで、このモヤモヤと付き合うしか無いのです。
※《ギリシャ語で、われ見いだせりの意から》アルキメデスが金の純度の測定法を発見した際に叫んだとされる言葉。

簡単な解決策に逃げても、解決しません。
今までと違う結果にたどり着くには今までとは違うことをしなければならないのです。
論理立てて納得できるものばかりを学んでいても、「マインドの枠」に捕われてしまうだけなのです。

何か分からないことがあったら…そこから逃げないで下さい。
そのわからない気持ち悪さに向き合ってみてください。

いつか、それがわかった時に得られる体験は、何にも代えがたいものがあるはずです。

最後に。
上記の通り、私自身が上手く言語化できていないことを書いたので、読んでいてモヤモヤするかもしれません。
仕様ですので諦めて下さい。

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