人を殺した「ゼロをイチ」にする不作為

人を殺した「ゼロをイチ」にする不作為

人を殺した「ゼロをイチ」にする不作為
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スーパーに買い物に行った時のことです。
レジ打ちの間、手持ち無沙汰にぼーっと立っていました。
すると、レジ打ちが終わって、買ったものを袋に入れる台の上に買い物かごが1つ放置されているのを目にしました。

その脇で、袋詰めしていた老女が、全部終わると、その買い物かごを、その放置されていた買い物かごの上に載せて、立ち去って行きました。

もちろん、台の上は、買い物かごを収納するわけではありません。
その老女の前には、カートがあり、そこにはお孫さんらしき幼女が一人。

小さな子どもの前で、よく恥ずかしくもなく、片付けもせずにかごを放置できるのだろうか…

カゴを所定の位置に片付けるだけのことです。
そんなこともできないのだろうか。
自宅ならともかく、スーパーのような、一般の人が多数出入りするような場で、使ったものも片付けられないとは…

そんな唖然としていた気持ちをいだきました。

…すると、今度は別の老人が、その2つ重なったかごの上に、さらに自分の使った買い物かごを載せて、立ち去って行きました。

買い物した商品を、袋に詰める台の上です。
1人目の老女は、斜めに乱雑に積み重ねて去って行きました。
2人目の男性老人は、斜めに積み重ねてあったかごを、まっすぐにして…それでも、台の上にかごを置いたまま去って行きました。

これは、店側にも問題がありました。
その瞬間において、買い物かごを片付ける所定の場所がなかったからです。

私がレジで精算を終え、買ったものを袋に詰め終えた時には、すぐ側にかごを片付けるための台があったので、3つ積み重なったかごと一緒に片付けて帰りました。

さて今日のテーマは、「社会的証明」です。
「社会的証明」については、有名な書籍「影響力の武器」にて詳しく書いてあります。
非常に「エグい」、心理トリガーの1つです。

人を反応させたり…あるいは反応させなかったり…そのスイッチが「影響力」であり、いくつかあるスイッチの一つが、この「社会的証明」なのです。

おそらく、この「社会的証明」を説明するのは、次の一行で済むのではないでしょうか。それは、

「赤信号 みんなで渡れば こわくない」

交通法規的に見て、赤信号を渡ってはいけません。
当たり前です。
ここで「みんなで渡れば」とありますが、必ずしも「みんなで」の必要はありません。
…実際、今日帰りに、歩きスマホの女子学生が赤信号の横断歩道を歩いてきたので、止まらざるを得ませんでした。

1人でわたっても、車は止まります。
それでも、「みんなで渡れば」という言い回しをします。
これが、社会的証明です。

本来、やってはいけないことであっても、
「みんながやっているから」
という大義名分を掲げることで、間違っていることを正当化する…という心理が込められています。

このことを別に解釈するならば、
「みんながやっていることが正しい」
あるいは、
「みんながやっていないことが正しい」
ということになります。

具体的には、この影響力の武器に書いてあるストーリーを紹介します。
引用ではなく紹介ですので、細かい数字は正確ではありません。

ニューヨークの路上で、ある女性が刺殺されました。
1回刺されて…何とか逃げ、追いつかれて刺され…それでも逃げ…そして刺され…
6回も刺されて殺されたのです。
その間に、その様子を見ていた目撃者の数は、確か38人だったかと思います。

つまり、38人がその様子を「見守る」中で、その残虐な殺人が行われたのです。

では、この38人は、この殺人者の共犯だったのでしょうか。
決してそんなことはありません。
ただの一般人であり、通行人であり…ということです。

その殺人犯も、それだけの人に見られているので、一旦犯行の手を止めた、といいます。
ですが、誰も止めに来なかったのです。
その結果、再度犯行に及び、殺人が達成されたのです。

繰り返します。
「みんながやっていることが正しい」
あるいは、
「みんながやっていないことが正しい」
という心理が働きます。

殺意を持って刺すという行為に、誰かが反応しなかったら、それを見た別の人は
「反応しないのが正しい」
ことを学習します。
そして…38人の前で、この女性は殺されたのです。

これが、影響力の武器、に書かれている実例です。

もしかして、その様子を目撃した最初の一人が、行動すれば、この女性は助かったかもしれません。
もちろん、人を刺す、という非常にショッキングな場面に遭遇して、何か行動できるかどうかはわかりません。
実際にその場で行動できる人はいませんでした。
ですが…もしかしたら悲鳴を上げるだけでも何とか鳴ったかもしれません。

そして、今日私が目撃したもの。
スーパーで、買い物かごを片付けるのが面倒な人が一人。
台の上に放置しました。
その放置した買い物かごの上に、やはり面倒だと思った老女が、そこに放置したのです。
それを見た老人が、
「そこが片付ける場所だ」
とでも思ったのでしょうか。斜めに置かれていたかごをまっすぐにして、そこにかごを置いて去って行きました。

これらが、社会的証明ということになります。

マーケティング的に活用するならば、いわゆる「お客様の声」等があります。
実績で、たくさんの人が買ってくれている、と伝えるのも手です。

すなわち、
「みんなが私から買っています」
 ↓
「私から買うのが正しいです」
という声なきメッセージを発信するということです。

孫の前で、片付けもせずに立ち去っていく老女には呆れるほかありません。
それでも、社会的証明の威力も、最初はゼロを1にすることからです。
買い物カゴが1つも無ければ、老女はそこに放置しなかった…かもしれないのです。
少なくとも、2人目の男性はそこに放置することはなかったでしょう。

お客様の声が無いならば、まず1つ手に入れて下さい。その1つをほかの人に見せて、2つ目を手に入れて下さい。
紹介も同じです。まず何とかしてでも誰かから紹介を獲得して下さい。その上で、
「ウチは紹介でお客様が来ています」
と言って2人目の紹介をもらって下さい。

この積み重ねが…ネガティブな方面に働けば、38人の監視のもとに殺人が行われます。
上手く正しく活用できれば…きっと、あなたにとって素晴らしい結果を手に入れられることでしょう。

その2人目を見て、
「あ、これが社会的証明」
なんだな、と実感した次第です。

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