あるマーケッターの話です。
ン十億,ン百億と結果を出している人…らしいです。
テレビで有名な,ある商品について担当し,大変な成果を上げているのだとか。
…という話を聞いて,ふと思いました。
「その人には【良心の呵責】というものはないのだろうか」
というのは,その大ヒットしている商品は,人体に非常に有害なものだからです。
手軽で効果が手っ取り早く,使いやすい反面,それを吸収してしまうことで,有害なものでもあるのだそうです。
その道の専門家は,口を酸っぱくして,
「決して(商品名)は使っちゃいけませんからね。あれは本当にやばいですから…」
と何度も何度も言っています。
しかし,そのマーケッターは,売るのがうまいので,マスマーケティングを展開して,億単位の売上が上がる大ヒット商品にしてしまいました。
定義【死の商人】
友敵を問わず、兵器を販売して巨利を得る人物や組織への蔑称、または営利目的で兵器を販売し富を築いた人物や組織への蔑称。(Wikipedia)
昔は,武器商人を「死の商人」と言っていました。
今の時代は武器ではなく,このようなある意味「細菌兵器」と言ってもいいような,有害な商品をばらまく,彼のような人を死の商人と呼ぶべきかもしれません。
そこで思うのです。
「良心の呵責はないのだろうか」
きちんと商品リサーチすれば,それがどんなに人体に害悪があるものかは必ずわかります。
むしろ,きちんと商品リサーチをしないで,売れるはずないです。
つまり,売れている以上は,商品リサーチはしているはずです。
それでも…細菌兵器だとわかっていても,それをばらまく片棒をかつぐ。
なぜなのでしょうか。
考えて出てきた答えは,
「仕事を選べないから」
ではないでしょうか。
きっと,その人だって好き好んで死の商人でいたいはずがありません。
…そう信じたいところです。
ですが,取引先との様々な力関係だったり,その人にも家族や従業員などがおり,その人達の生活の安定のためにも,収益を上げなければならない。
そのために仕事を取って…その仕事を取るために,あちこちでしがらみを作り…今では大ヒットを連発できる売れっ子マーケッターになったものの,しがらみでがんじがらめ。
自分で営業はしなくていいものの,来た仕事は受けなければならない。
その結果が,死の商人。
あくまでも,推測です。
推測というよりは願望でしょう。
人に不幸を振りまこうと,マーケティングを凶器にしてしまっているような,狂人ではないことを願いたいところです。
話を戻します。
では,なぜ仕事を選べなくなってしまったのか。
それは,仕事を選ばなかったからです。
しがらみにがんじがらめになる前から,仕事を選ばなかったツケが,ここに来ているのです。
ではどうしたらいいのでしょうか。
「仕事がない時こそ,仕事を選べ」
これに尽きます。
なぜなら,仕事がない時は,まだしがらみもないからです。
その時こそ,自分のビジョンやミッション,なぜその仕事をしているのか,といった思いを大切にして,仕事を選べばいいのです。
もし,そんなビジョンやミッション,なぜその仕事をしているのか,という思いが明確ではない場合は,反対を考えればいいのです。
「こんな〜で在りたい」
という思いはなかなかでてこないかもしれません。
ですが,
「こんな〜は嫌だ」
なら,割と出てくるものです。
例えば,
「こんな人の仕事は受けたくない」
という感じで,嫌なものをリストアップしておきます。
そのリストに該当するものは,受けないように気をつければいいだけです。
ただし,これには勇気と覚悟が入ります。
今月の家賃の支払いが…と困っているときに,そのリストに該当してしまう仕事が来たら…。
それでも断る勇気を持てるかどうか,です。
ここで断れなかったら…死の商人への道がはじまるだけです。
仕事は…まだ少ないときこそ,選ばなければいけないのです。
もし,すでに売れっ子で…しがらみでがんじがらめだったとしたら,どうすればいいのか。
今の生き方を継続するか,しがらみと一緒にこれまでの人脈を全部棄てるかを選択することになります。
ただ,これまでの人脈や顧客,伝手は全部すてて,裸一貫でやり直すだけです。
すごろくでいう,スタートからやり直すだけです。
ただし,ブースト機能がついていいます。
なぜなら,全てを捨てても,蓄積したスキルと経験は何一つ失うものはないからです。
ただし…言うまでもなく,それを棄てるのは大変な覚悟がいるでしょう。
もちろん,要所要所での選択肢で,死の商人ルートを選び続けた結果です。
相応の代償…言い換えると報いがあるのは仕方がないことかもしれません。
最後に。
今回は,マーケッターの例で紹介しました。
ただ,ありとあらゆるすべての業種に当てはまることです。
世界平和を真剣に願っている人はいます。
けれど…「どうやっても邪悪で有害でしかない人」あるいは,邪悪でなくとも「有害でしかない人」というのは,必ずいるのです。
これは,万人に好かれたい,というのが不可能だ,ということと同じです。
なぜなら,世の中には必ず「みんなから好かれている人が嫌い」という人がいるからです。
どうあっても「邪悪で有害でしかない人」等に対して,どう接するのか。
これは誰でも遭遇する可能性はあるのです。
人ごとではないのです。
そんな時に…あなたの覚悟が試されることでしょう。
あなたがよりアップスタッツな明日になりますように。
セールスコピーライター 飯山陽平
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