様々なイベントに参加していると…割とよく見かける光景があります。
あるいは,耳にする言葉があります。
耳にする度に,残念な言葉があります。
それは,
「私,人前でしゃべるのは苦手なので…」
というものです。
それを,壇上の上から,聴衆…すなわち,そのイベントや会合に参加している人に向かって言うことに,どんな意味があるのでしょうか。
聞く度に,実に残念な気分になります。
本当かどうかはわかりません。
スピーチの「本場」米国でさえ、人前で話すのが死ぬより怖いという人が約4割に上るという調査があるようです。
この調査結果は,あちこちで見かけますが,ソースまではわかりません。
さすがに死ぬより恐い…というのは大げさだとしても…。
それでも人前で話すことに対して苦手意識を持つ人は多い,ということはわかります。
苦手意識を持つ,ということそのものは,仕方がないでしょう。
ある意味,反射的なものでもあります。
自己啓発的な発想から,言葉遣いを変えるならば,
「苦手…ということではなく,伸びしろがある,と口にするように」
という話は聞いたことがあります。
確かにその通りでしょう。
苦手…という言葉を口にするだけで,自分で自分を「私は苦手だ」と説得していまうような効果がある。だから言葉遣いを変えることからはじめる。
実に合理的です。
ただ,これはあくまでも自己啓発的な視点からの問題です。
コミュニケーションは,基本的に一人で行うものではありません。相手が居るという前提に立ちます。
そうなった場合…相手がそれを聴いてどう思うのか。
ということです。
自己啓発だと,対自分の問題です。
コミュニケーションは,対相手の問題です。
私が,
「私は人前で話すのは苦手だから…」
と言うのを聴いてうんざりしているのは,この話し手の醜いとすら感じる,自己中心的で独りよがりなエゴを見せつけられた気分になるからです。
どういうことでしょうか。
人前でうまい話ができないことは,2〜30秒もしないでわかります。
いちいち,断っていただかなくても,すぐに伝わることです。
それでも,敢えて
「私は人前で話すのは苦手だから…」
と言うことで,自己擁護をしていることになります。
単純にこのようになります。
「私は人前で話すのは苦手」
↓
「だからうまい話はできないけど,仕方ないよね」
↓
「だって私は人前で話すのは苦手なのだから」
↓
「そんなうまく話ができない私を,壇上に上げて話をさせようとしているのは,私のせいじゃないからね。恨むなら,私を壇上に上げさせた人にしてね」
↓
「いちいちそのことで私ことを責めたりしないでね」
というメッセージを発信していることになるのです。
誰だって,はじめは人前で話すのは苦手です。
私も苦手でした。今はうまくなったかどうかはわかりません。
それでも,訓練して,なんとか話せるようになった…そう思いました。
それでも先日は,あるクライアントに,
「話を聞いていてもつまらない」
と言われたので,大して上達していなかったのだな,と実感です。
私のことはさておき,
「私は人前で話すのは苦手だから…」
とみんなの前で言うのは,ただの甘えです。
その苦手さを克服しようと努力することなしに,何の準備もせずに壇上に上がり,
「私は人前で話すのは苦手だから…」
というのは,ふざけるな…くらいに思います。
このセリフに5秒使ったとします。
その場に,その人の話を聴いていた人が100人いたら,500秒。
約8分20秒ちょっとの時間となります。
その人の,甘ったれた,何ら根性のない,醜いエゴで,人から8分ちょっとの時間を奪っている。
これが,上述の通り,
「この話し手の醜いとすら感じる,自己中心的で独りよがりなエゴ」
です。
ではどうしたらいいのか。
苦手なりに必死で訓練。
もちろん,できるならばしたほうがいいでしょう。
このブログをご覧のあなたは,きっと経営者です。
人前で話すスキルは身に付けておいたほうがいいでしょう。
ですが,もちろん,得意不得意はあります。
先天的なものも(わずかとはいえ)あります。
これまでの人生遍歴上の問題もあるでしょう。
幼少期にひどい体験をすることで,なかなか話せない。そういうこともあるかもしれません。
練習できればいいいのですが,そんな状況にはない人もいるでしょう。
もちろん,私もまだまだ上手く話せません。
では,訓練できないのなら,どうするのか。
「私は人前で話すのは苦手」
といった,甘ったれ根性の腐った言い訳をぐっと堪えることです。
もし,
「私は人前で話すのは苦手」
と口にすれば,噺家並みにすばらしい話ができるのなら,それはいいでしょう。
ですが,
「私は人前で話すのは苦手」
と言い訳を聞かされた上に,さらにつまらない聞くに堪えない話を聞かされる側になってみたら,どうでしょうか。
安っぽい同情は買えるかもしれません。
ですがそうでない場合,私が今このブログで書いているような,具体的な「言語化」まではしないにしても,聴いた人の心のなかで,「何となく嫌な感じ」は伝わるものです。
ぐっと我慢して,堪えるのです。
こらえて,たどたどしく,上手く話せない体験を味わうのです。
上手く話せないことを,人のせいにすることなく,自分で責任を引き受ければいいのです。
もちろん,うまく話せない姿を見て,よく思わない人もいるかもしれません。
ですが,責任転嫁する姿を見せるよりは,ずっと好感を得られるはずです。
そして…それでも上手く話せず悔しい思いをすること…それが,上達への最初の一歩となります。
あなたがよりアップスタッツな明日になりますように。
セールスコピーライター 飯山陽平
1つの集客法で7割以上を集客している。
これは危険です。
とはいえ,どうしていいかわからない。
そんな方は一度こちらをご覧ください。