今日は私の恥ずかしい話を暴露します。
私の怖いもの。
それは…くまのぬいぐるみです。
ここ数年は大丈夫でしたが、一時期は、悪夢にうなされるほどくまのぬいぐるみが恐ろしかった時があります。
なぜそんな事態になったのでしょうか。
ある女性がいました。
友人…と呼べるような間柄でした。
彼女は、私よりも数歳年上でした。
どういうわけか、くまのぬいぐるみを溺愛していました。
夜、一人でくまのぬいぐるみに話しかけて…会話が成立していたようです。
どういうきっかけかは覚えていませんが、その「会話」について、彼女は私に打ち明けました。
当時の私は、自己啓発マニア。
「コミュニケーション技法」の訓練にハマっていました。
彼女の「くまのぬいぐるみとの会話」について、頭から否定することなく、
「なるほど」
と流しました。
それが悪夢の始まりです。
当たり前です。
いい年した女性が、くまのぬいぐるみとの会話について語るわけです。
いわゆる「普通の人」は、どんな反応をするでしょうか。
私は、彼女のその行動に対して、「否定しなかった」のです。
「私と◯◯(くまのぬいぐるみ)との会話について、あなたが初めて否定せずに聴いてくれた!!」
と感激されました。
つまり、私は彼女にとって唯一無二の、彼女の(おそらく一番)大切だと思っていることについて、ありのまま打ち明けられる存在に格上げしてしまったのです。
はじめは10分くらいの話しでしたが、だんだん1時間くらいになり、2時間にもなり…同じ話が3回くらいループしているわけです。
仮にも既婚男性(私)に向かって、深夜1時までくまのぬいぐるみの話を延々と電話で話す彼女。
当然ですが、いまさら「否定」するわけにも行きません。
激しい裏切り行為になるでしょう。
だからこそ、ひたすら我慢して聴き続け…悪夢にうなされるまでになったのです。
どんなきっかけかは覚えていませんが、彼女の方から連絡してこなくなり…。
あれから◯年。
今では、
「くまのぷーさん」
とか、
「コ□ルくん」
とか、
「シュタイフのテディベア」
といった名称では、動じなくなりました。
「くまのぬいぐるみ」と聞くと…ちょっと嫌な感じがします。
さて、本題です。
実に恥ずかしい話ではありますが、私は自分の未熟さ故に、一人の女性をズルズルに「依存」させてしまったのです。
なぜそんな状態になってしまったのでしょうか。
私は心理学についての専門家ではないので、あくまでも推測です。
それは…「周りの誰からも否定されてきた、自分にとって大切な事柄」を、私は否定しなかったのです。
もちろん、
「いい年してくまのぬいぐるみに話しかけているなんて…どうかしているんじゃないかこの人…」
くらいには思っていたとしても、それは私の意見であり、それを口に出しませんでした。
「なるほど…」
と言って話を聞くのは、相手の話に否定も賛成もせず「ちゃんとちゃんと聞いていますよ」という意思表示です。
彼女が周りの人たちとどれだけの関係を築いていたかはわからないのですが、彼女の周りでただ一人、私だけが
「ちゃんと話聴いてますよ」
という態度を示したのです。
その結果が、あのザマということになりました。
これが「肯定」の一つの威力です。
今回は「くまのぬいぐるみに話しかける」という行為でした。
ただ、誰もが声に、口に出さないだけで、多かれ少なかれ「自分だけの想い」を抱いているものです。
それを、否定しないでちゃんと聴く。
それが、肯定することで得られる人間関係です。
私みたいに一歩間違えると大変なことになりますが、やり方しだいでは非常に素晴らしい関係を築くことができるのです。
私はコーチングについてさほど詳しくないのでわかりませんが、いわゆる「傾聴」などと呼ばれる技術も、この「肯定」に含まれるのではないでしょうか。
では、これをコピーライティングにどう活かせばいいのでしょうか。
それは、ひとえに「リサーチの成否」にかかっています。
リサーチの時に、顧客の
「声に出さない」「言葉にならない」「言語化できていない」
そんなもどかしい思いを汲み取って、こちらで言語化して、
「あなたのいいたいことは、こういうことですよね」
と書いてあげることです。
これができれば、
「あ、この人は私の言いたいことを理解してくれている!」
と感じてもらうことができます。
他の誰もが言ってくれなかった、心の奥底にある声に出せない思いを汲み取ることができれば、絶対的な差別化が実現します。
まさに、これが「卓越の戦略」なのです。
「卓越」とは、ずば抜けて優れていることを意味します。
個人的に、敢えて表現するならば「次元が違うレベル」とか「別格」とでもいうことができるでしょう。
競合が、ちょっと努力して伸びたからといって、縮まるような差ではないということです。
以上、これが「肯定の威力」でした。
最後に。
どうすれば相手の言葉にならない思いを汲み取って、代わり言語化してあげられるか。
それはノウハウの問題ではありません。
どれだけ相手のことを理解しようとする姿勢を以って、日々行動を積み上げるかにかかっています。
「◯☓すればうまくいく」
というものでもありません。
「◯☓すればいい」
などと書いてしまうことで、テクニック的な発想になっても困るので、詳細は省略します。