「才能」という大嫌いな言葉

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「才能」という大嫌いな言葉
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こんにちは。
札幌市近郊を中心に活動する集客代行業,
アップスタッツ経営研究会,
セールスコピーライターの飯山です。

 

今日は…
私が嫌いな言葉について
解説します。

 

私は,
「才能」という言葉が嫌いです。

 

 

15年以上前のことです。

 

私が司法書士という国家試験に
合格した後の話です。

 

当時の合格率は,2.6パーセント。
要するに,100人受けて,
3人合格できないということです。

 

 

よく,
「司法試験」
と比較されます。

 

 

私は司法試験を受けていないのでわかりませんが,

「頭のいい人なら,司法試験に合格できる」
「司法書士試験は,誰に対しても平等に地味で面倒な試験」
などと言う人がいて…個人的に,大いに賛同します。

 

さて,
ある人が私に対してこんなことを言いました。

 

 

「そんな大変な試験に合格するなんて,
才能があったんですね」

 

 

このコメントに対し,
ショックを受けたのを覚えています。

 

試験勉強を開始してから,合格までに
約2年半掛かりました。

 

 

特に,最後の半年は…
毎日13〜16時間,勉強していました。

 

 

夜になると
ぜんそくの発作で
熟睡することができません。

 

毎日,
予備校の自習室に移動して,
リゲ○ンなどのドリンク剤を並べて,
勉強し…
フラフラしながら家に帰って
さらに勉強。

 

 

私の記憶が正しければ,
2回ほど血尿が出ました。

 

 

また,昔の怪我の後遺症で,
利き手がしびれて,
ろくにペンを持つこともできません。

 

試験前1週間は,
本当に辛くてしんどくて…
ZARDの「負けないで」を何度も何度も聴いて,
歯を食いしばって勉強を続けました。

 

試験は7月第一週の暑い日です。
夜もよく眠れません。

 

 

試験中,やはり手がしびれて,
ペンを持つことができず,
焦る気持ちを必死でこらえていました。

 

特に…
当時は,今以上に自分が嫌いで,
自分に自信が持てませんでした。

 

才能もない。
特技もない。
優れた容姿でもなければ,
良いパーソナリティもない。
コミュニケーション能力は終わってる。

 

何もかもない私。

 

 

朝,顔を洗う時に,
鏡を見るのを避けるくらい,
自分が嫌いな私。

 

せめて,
国家試験に合格できるくらい
頑張れる自分になれれば,
少しは自分に自信が持てるかも…

 

そんな気持ち,
そしてそのために積み重ねてきた
あらゆる努力を,

 

「才能」
という言葉で片付けられてしまったのです。

 

怒りを通り越して,
悲哀の感情を抱いたのは
よく覚えています。

 

 

才能がなければその仕事はできないのか

 

それから10年以上経ったある日。
お世話になった方の結婚式のため,
東京に向かいました。

 

私が関東に住んでいた時の
友人知人もたくさん集まりました。

 

その中のひとり,
ある女性と話をしたときのことです。

 

数年ぶりの再会ということもあり,
お互いに近況報告。

 

彼女は結婚して,
ある地方で暮らしていました。

 

私は…
司法書士から
セールスコピーライターに
なった,という話をしました。

 

すると,
彼女は…

 

 

「へー
コピーライターになるなんて,
そんな才能あったんだね」

 

この一言にも,
やはり怒りと悲しみを
感じました。

 

私には,
才能など何もありません。

 

 

もちろん,
向き不向きというものはあります。

 

 

私に絵を描かせたら,
絶望的な何かを目にするだけでしょう。

 

 

幸い,
文章を書くということに関しては,
訓練の賜物か,
何とかそれなりの文章を
毎日書けるようになりました。

 

 

そして…
それだけです。

 

歴史に残るような
偉大なコピーを書けるわけではありません。

 

語り継がれるような,
クリエイティブなコピーを
生み出せるわけでもありません。

 

では…
才能がなければ,
その仕事をやっては
いけないのでしょうか。

 

大人げないので,
言い返しませんでしたが…

 

もし言い返すとしたら…

 

「へー
じゃあ,あなたは
主婦になる才能があったから,
今,主婦をやっているのね」

 

「母になる才能があったから
子どもを産み育てているわけね」

 

 

などと言っていたかもしれません。

 

繰り返します。
人には向き不向きというものがあります。

 

向いていないものに対して,
必死で努力を積み重ねても,
限界はあります。

 

 

限界はありますが,
それでもスキルを習得することは
可能でしょう。

 

ならば…
後は,好きか嫌いか,
ではないでしょうか。

 

そのスキルを習得するために,
どれだけ好んで
努力を積み重ねられるか。

 

これに尽きるのでは
ないでしょうか。

 

私は,
才能という言葉は嫌いです。

 

それ以上に,
「才能の無さ」
を理由に,
やりたいこと,
やろうと思ったことを
やらない言い訳にするのは
もっと嫌いです。

 

そして…
この世の中で,
私は自分のことほど
よくわからない存在は
いない…

 

どこかでそう思っています。

 

自分がどんな才能を持っているかなんて
何一つわかりません。

 

 

自分が何に向いていて,
何に向いていないのかなんて,
やはりわかりません。

 

だから…
結局のところ,
才能があろうがなかろうが,
向いていようが向いていなかろうが,

 

それをやってみるしか無いのでしょう。

 

 

やってみて,
「あ,これは好きじゃない」
「これは向いていない」
と確かめるしかないようです。

 

私は…
司法書士という仕事が
好きではなく,
自分に向いていないということが
今ならよくわかります。

 

 

もちろん,
依頼を受ければ,
その仕事をこなすだけの
スキルや能力はあります。

 

 

それでも,
向いていないようです。

 

幸い…
セールスコピーについては,
まだ「絶望」していません。

 

向いているとも,
才能があるとも思えませんが,
向いていないわけでもなさそうです。

 

最後に。

私には才能はありません。

あるとするならば…
それは「運」でしょう。

 

もし,
「そんな難しい試験に合格するなんて,
よほど運が良かったんですね」
と言われたら…

 

納得します。
実際,その通りですから。

 

私は,運が良かったから,
家族をはじめとして,
たくさんの人が,
私を支えてくれたから,
努力を積み重ねることができたのです。

 

実際…
5年以上,試験勉強をして,
「今年は行けそうだ…」
という感触を掴んでいながら,
家族が倒れて介護に追われ,
試験を断念した人を知っています。

 

 

もっと極端な例を出せば,
生まれて間もなく,
テロや戦争などで
死んでいく存在もいます。

 

この平和な日本に生まれただけで,
どれだけ運がいいのか…
という話ですね。

 

 

この話をはじめたらキリがないので
これくらいにします。

 

運はコントロールできません。
だから,運に頼るのでもなければ,
ケチを付けるのでもなく…

 

そして,
才能などというまやかしに
踊らされること無く,
日々,やれることを
積み重ねていきたいものです。

 

 

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あなたがよりアップスタッツな明日になりますように。
セールスコピーライター 飯山陽平

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