卑怯な「ビフォーアフター」広告の手口

卑怯な「ビフォーアフター」広告の手口

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先日、折込チラシを見ていた時のこと。
あるしわ取りか何かの化粧品でしょうか…右手と左手でビフォーアフターの写真が出ていました。
広告には、
「この明らかな差!」
と高らかに謳うコピーが。

お客様の声として、
「もうこれからはずっと社長についていきます!」
とのメッセージ。

一種のカルト宗教を思い起こさせます。

さて、ここでの問題点が1つありました。
それは、
「私の目には、左右の違いがわからなかった」
ことです。

よく目を凝らして見れば、
「違うような気がするかもしれない」
レベルの差です。

その程度の差で、
「この明らかな差!」
と謳っているのです。

その上で、
「もうこれからはずっと社長についていきます!」
というメッセージは、明らかに行き過ぎ。

少なくとも私の目では見てわかるかどうか…という程度の効能です。
「誇大広告」
かどうかは、法的判断的な要素もあるので、そこまでは踏み込みません。

コピーライティングの観点から言えるのは、
「一貫性が取れていない」
ということです。

ビフォーアフターをやりたいのなら、誰が見ても明らかにわかるレベルでの違いを出さなければなりません。

では、「明らかに違いがわかる」ビフォーアフターにするには、どうすればいいのでしょうか。
方法は2つです。
(1)使用前を酷く演出する
(2)実際に本当に劇的な効果を出す

もちろん、(1)は論外です。
これが卑怯な広告です。

先日見た、別のある化粧品広告。
これが極めて卑怯という他ありません。

同じ51歳女性。
シミを取るための化粧品の使用前使用後の写真が載っていました。

見た瞬間に、
「あ、これ卑怯過ぎる」
と思ったのです。

その写真をここに載せるのは差し控えます。
ただ、見た瞬間に、あまりに卑怯という言葉しか出てこなかったのです。

理由は、「使用前」の写真は、普通の表情。別の言い方をするならば、ただの無表情です。
「使用後」の写真は、あからさまなまでの笑顔。
「この爽快感、感動です」
というコピーで、その「笑顔」を正当化してはいますが…やはり卑怯という他ありません。

これが、上記(2)の手口です。
最初の例と同じく、さほど大きな効果は(少なくとも私の目には)わかりませんでした。
だからこそ、最初を無表情、後者を笑顔にすることで、後者の効果をよく見せようとするあからさまな印象操作をしているのです。

そこまで印象操作をして、消費者を騙して売って…誰が得するのでしょうか。
クレームの嵐になって、炎上してSNSで拡散して…自らの首を絞めるようなものです。

ではどうすればよかったのでしょうか。
結論は、ビフォーアフター広告を辞めることです。

ビフォーアフター広告は、本当にその商品やサービスの効果効能が見てわかるくらい顕著な場合にしか使えないのです。

理由は2つ。
1つ目はこれまで書いたとおり、効果が見てわからないと意味が無いからです。
今回のように騙して印象操作をしたりするのは論外です。

もう1つの大きなリスク。
それは、ビフォーで顧客が抱いたネガティブな印象を、アフターで挽回できない可能性があるということです。

シミ取りの化粧品で、本当にシミが取れる…ということでビフォーアフターをするならば、当然ですがビフォーではシミだらけの顔写真を載せなければいけません。

そのシミだらけの顔写真を見た瞬間に感じるネガティブなイメージを、アフターで挽回できなければ、その広告を見て嫌な気分になるだけです。
嫌な気分になる広告を見て、買いたいと思えるのでしょうか。

シミとかは脇に置きます。

いわゆるビフォーアフターということは、顧客の現在の満たされていない何かにスポットを充てることです。
その上で、
「そのままでいいのですか?」
と促して、より良い未来へ顧客を導くこと。
それが本来の役割…のはずでした。

ただ。
考えてみてください。
わざわざ好んで、日頃から目を背けている何かを、わざわざ人様から見せつけられて、喜ぶ人はいるのでしょうか

例えば、メタボな人にとって、たるんだ腹を見せつけられて、良い気分になるでしょうか。
薄毛で悩んでいる人に、薄さを見せつけられて安堵する人はいるのでしょうか。

だからこそ、例えば薄毛で悩んでいる人向けの商品には、本当に薄毛の人を出してはいけないのです。

本当に悩み事を抱えていて…でも目を背けたい。
そういう状態の人に、その問題を直視させるには、高度な信頼関係が必要です。

例えば、
「ほかならぬあなたが言うのだから…少しはダイエットしようか」
となるのです。

別の例で紹介するならば、病気。
深刻な病気が発見された時に、医師はその「ネガティブなイメージをさせてはいけないから」と、言わない、という選択をするでしょうか。

今から手を打たないと本当に間に合わなくなる…という時に、
「いや、ショックを受けたら可哀想だから言うのは辞めよう」
とはならないでしょう。

そして、言われた患者側も、
「なんでそんな酷いこというのですか!」
と怒ったりはしないでしょう。

「医師」
という立場、知識経験資格に対する信頼があるので、このような深刻な病状を告げられても、それはそれでいいのです。
いわゆる完全に手遅れな状況で「死の宣告」をするかどうかはまた別の話です。

 

医師のような信頼関係もなく…印象操作によるだまし討ちのような卑怯な真似をする企業と顧客との間では、信頼関係など生まれるはずがないのです。

 

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