なぜ「当たり前」を視覚化すべきか

なぜ「当たり前」を視覚化すべきか

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日曜夕方…といえば。
サ◯エさんではなく、ちび◯子でもなく。
私にとっては、「笑点」です。

番組放映50周年を迎えた笑点。
ところが、50年前からレギュラー出演している歌丸師匠、こと桂歌丸さんが体調不良でお休みしています。

私の感覚だと、「笑点の司会」=「歌丸師匠」ですので、彼がいないと違和感が酷い。

何年も、歌丸師匠が仕切る大喜利を見てきただけに、実に寂しいものです。

先日、司会の代打で、別の笑点メンバーが司会を行っていました。

日頃から、ユーモアさが足りない私だけに…せめて少しでも笑いを…と思って楽しみにしている笑点。
ですが、この代打による司会が、実にイライラします。
一言一句、一挙手一投足が、神経を逆撫でします。

この人自身、体調不良でしばらく休んでいた時期があり…その間は実に楽しい笑点でした。
復帰してから…本当に番組をつまらなくしています。
そんな人が司会ですから、本当に酷い。

間のとり方ひとつとっても、そこで言わなくてもいいことを言って、流れを滞らせる。
言うべきことをいい忘れ、やり直しになる。
「これもキャラクター」
と言えばそれまでですが、それはもはや芸とはいえません。

あまりにも酷いこの司会進行を見て…あらためて
「歌丸師匠の偉大さ」
を思い知りました。

よく、メンバーが、座布団目当てのゴマすりに、「歌丸師匠の名人芸」と褒め称えています。
これは、ゴマすりではなく、単なる事実だったようです。

間のとり方、どこで何をどのように喋れば、全体の流れを滞らせることなく、笑いに繋がるのか。
その、一見して見えないところに、彼の名人芸が凝縮されているのでしょう。

今回は歌丸師匠の素晴らしさを、彼が病欠することによって実感しました。
ある意味、実感する機会があって、ありがたいというべきでしょう。
今後、彼が復帰した時に、本当にありがたい気持ちで見ることが出来ます。

さて。
これが、見えないものを視覚化する、という今日のテーマに繋がります。
歌丸師匠の素晴らしい名人芸は、
「当たり前」
ではないのです。彼の50年間の研鑽がそこに凝縮された、何にも代えがたいものなのです。
ただ、それだけを見ていると、いつの間にか「当たり前」になってしまいます。

あなたの扱っている商品やサービスも、
「当たり前」
になっていないでしょうか。

あなたにしか出来ない「何か」があるかもしれません。
なかったとしても…つまり、その業界であれば誰でもやっているようなことでも…ほんとうに大変な努力や手間の積み重ねがあるかもしれません。

その最終結果だけを見せても、
「有り難み」
を感じることはできません。

今回、たまたま歌丸師匠の代わりに、ひどい人が司会をすることで…結果的に、いかに歌丸師匠が素晴らしい司会なのかを思い知りました。

見えないものは、視覚化しなければいけません。
でないと、価値は感じてもらえないのです。

見えない箇所を視覚化する一つの手法に、ストーリーがあります。
例えば。
こんな話があります。

かつてお世話になっていた、ある鮨屋の話。
「お茶がおいしい」
といったところ、店主が「5年探した」とおっしゃっていました。

それまでずっと取引していたお茶の業者が、年齢を理由に廃業。
代わりのお茶を探し続けて5年。
あるとき、偶然が積み重なって、素晴らしいお茶の業者と知り合って、取引するようになった。

まとめるとたった3行で終わります。
しかし、5年間どんな試行錯誤や苦悩、努力を積み重ねたのか。
これはいくらでもストーリーにできます。

けれど…それらのはなしがなければ、単なる鮨屋のお茶、で終わってしまいます。
特に、お茶だけで課金されるようなものでもないので、ますます価値を感じてもらいにくくなります。

そんな、課金されないようなお茶に、そこまでこだわっている、という姿勢が、この鮨屋の価値を揚げているのです。

けれど。
しつこいようですが、そういった話をしなければ、ただのお茶、で終わってしまうのです。

見えない部分を、どう可視化するのか。
考えてみてください。

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