あらためて考える「すぐそばにいる人」の怖さ

あらためて考える「すぐそばにいる人」の怖さ

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こんにちは。
アップスタッツの飯山です。

 

昨日は,現代において
本当に怖い存在は
人間である。

 

そんな話をしました。

 

…が。
どうにも
「怖さ」
をしっかり伝えきれていない感じはあります。
もう少しだけ,
掘り下げて見ることにします。

 

以下,お付き合いください。

 

 

わかりにくい怖さ

 

コメントを頂いたので
紹介します。

 

動機の曖昧な「誰でも良かった」的な
犯罪のニュースを耳にすると、
こういう感覚は強くなります。

 

 

無差別的な
通り魔犯罪や…
場合によってはテロなどの
標的になりかねないリスク。

 

これらを考えると,
安全な人なんて
どれだけいるのだろうか。

 

 

いろいろとリスクを考えてしまいますね。。

 

ただ,
今日考えていきたいのは,
「その人」
に対する周りの評価です。

 

ニュース等で,

 

「本人」

 

のコメントとして,
「誰でもいい」
みたいなコメントは
出ます。

 

それはそれで怖いのですが。

 

 

それ以上に怖いのが,
周りの人達のコメントでしょう。

 

同じく,ニュース等で,
「近所の人達」
「職場の人達」
みたいな感じのテロップがついて,
その人達のコメントが
紹介されます。

 

その内容が…

 

例えば,

 

「いつかこういうことを
やるんじゃないかと思ってました」

みたいなコメントだったら…
まあ,まず安心と言えば安心。

 

なぜなら,
危険予測出来ていたのですから,

 

予測は出来ていても
対策や予防はできなかったことを
意味しますが。

 

 

予防の観点から考えると
もっと怖いことになりそうですね。

 

 

「あいつはいつか人に
危害を加えるに違いないから,
今のうちうに駆除しておいた方がいい」

 

 

みたいなこ社会になったら,
それこそ文明の機器です。

 

すべての人が
やるかやられるか…の,
弱肉強食,策を練って
誰かを陥れ,陥れられ…の
世界に突入します。

 

なので,
事実上,予防は無理でしょう。

 

でも,

 

「いつかやるんじゃないかと…」

 

と思えているなら,
まだマシです。

 

 

本当に怖いのは,

 

「まさか,あの人が
こんなことをするとは思わなかった」

 

というコメント。

 

 

このコメントの意図することは,
その人が何かを仕出かすということを
まるで予測できていなかった…
ということにほかならないのです。

 

「あの人がこんなことをするとは
思わなかった」

 

どころか,

 

「あの人がこんなことをするはずがない
なにかの間違いであって欲しい」

 

までいったら…
もう,「思い込み」で安全な存在だと
思わせられている。
つまり,騙されていることになるのです。

 

 

危険な存在はどこにでもいる

 

 

ですが,
それはテレビから垂れ流される
別世界の話…なら,まだいいでしょう。

 

例えば,
全従業員5名の職場で,
そのうち1人が…

 

「そういう人」

 

だったとしたら?

 

ここでいうそういう人というのが,
犯罪的なものではなく,
刑法には触れないレベルの,
人を陥れ,傷つけることを
意図していたとしたら?

 

もっと怖いのは,
意図していなかったとしたら?

 

つまり,
人を陥れ,傷つけることが
息を吸って吐く程度には
自然で当たり前だったとしたら
どうでしょうか。

 

そんな人が職場にいたら…
そして,その危険性を
認識出てきていなかったら?

 

同じ職場の人や経営者は,
無意識下に被害を受けます。

 

具体的には,

 

「なんか調子悪い」
「小さなミスを繰り返す」
「思ったような成果にならない」

 

となって…
じわりじわりと,
侵食されていくのです。

 

 

事態を複雑にする原因

 

それは,
人が本来,善な存在であり,
邪悪な存在に対する耐性が
強くないこと。

 

例えば,

 

「あの人はいつかなにかを
やらかすから,
今のうちに処分しておいた方がいい」

 

みたいな発想を持っているような人の…
その発想の根源的なものが
「善性」の発露だったとしたら
どうでしょうか。

 

つまり,
この人を殺しておいたほうが,
世のため人のためである。
と本当に,親切に,心から思っているような
人だったとしたら?

 

でも,
そういう人は,
善性の人であり,
邪悪さのカケラを発露することもなく,
日々,同じ職場で過ごしていたとしたら?

 

 

ちょっとした親切をしてくれて,
気を使ってくれて,
かばってくれて…
単に優しい人にしか思えなかったとしたら?

 

単なる,良い人のはずが,
誰よりも邪悪だったとしたら?

 

「あの人に限ってそんな事…」

 

と,その邪悪さに直面できないのでは
ないでしょうか。

 

はい,私自身がそうだったのです。

 

ある「知識」を身に着け,
本当に危険な人か,そうでない人かを
的確に選別できるようになったとして…

 

その知識スキルにおいて,
「あの人は危険」
と判定されたとして…

 

「そんなことはあるはずない」

 

となってしまうのではないでしょうか。

 

実際,
私の実家から徒歩3分ほどの,
すぐ近くの親戚の伯母さんが…
「その人」
でした。

 

小さいころから面倒を見てもらって
可愛がってもらい,
いろんなものをもらい…

 

「優しくて面倒見のいい伯母さん」

 

と思っていたのに…
実は,本当に危険だった…

 

具体的には,
私自身「だけ」がその伯母さんと関わるなら
大したことはないのですが。

 

親がその伯母さんと関わることで,
夫婦喧嘩…怒鳴り合いや,暴力などが
頻繁に発生していたのです。

 

でも,私はその原因に気づかなかった。
そして…「知識スキル」を学んでも…

 

「まさかそんなあの人が…」

 

と受け入れられずにいたある日。
私が親元を離れて数年立っていましたが,
そんなあるとき母親が…

 

「もうあの人(伯母)とか関らないと
決めた後1年経つけど,
本当に平和で…」

 

なんてやり取りがあって,
びっくりした記憶があります。

 

危険な人はどこにでもいて,
危険性は認識しづらく,
認識しても直面できない。

 

そんな話でした。

 

最後に,
そんな人を
雇用し,職場に入れてしまったら?

 

その職場の未来はどうなるでしょうか。

 

 

一度は考えておいて欲しい内容です。

 

あなたがより「アップスタッツ」な明日になりますように。
アップスタッツ 飯山陽平

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