現代版「沈黙は金」の隠された本当の意味

現代版「沈黙は金」の隠された本当の意味

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25年以上前のことでしょうか。
地元の理容店でのことです。
今ほど目が悪くなかったので、散髪中に本を読んでいました。

アシスタントの老婆(店主の母)が、
「何を読んでるの?」

本を読んでいた私には邪魔でうっとおしかったので、適当に生返事。
すると、その老婆は手を止めて、
「えっと…」
と私が読んでいたものを音読し始めました。

地元の理容店で、店主の奥さんが、元PTA会長で、いろいろお世話になった義理もあり…10年以上通い続けたのですが、その日が最後の来店でした。

5年ほど前でしょうか。
取引先のある社長に紹介してもらった、整体院に行った時のことです。
肩こりや腰痛がひどくて困っていたところ、紹介してくれました。

その整体師の診察によると。
「非常に神経を使う仕事をしていて、気が抜ける事がほとんど内容ですね。
常時神経を張り詰めているせいで、体が凝ったのでしょう。リラックスしてみてください」

そんなことを言われても、あまりピンときません。
そもそも、常時神経を張り詰めているという自覚もありません。

するとその整体師は
「せめてウチに来た時くらいは気を休めて下さい」

ですが、しばらく通っていると、
「どんな仕事をしているのですか?」

から始まり、仕事の話をすることになりました。
最後に行った時は、
「実は、今こんな問題があって…これって法的にどうなのですか?」

ラーメン店をやっている人を施術するのであれば、
「じゃあ、一回ただで食べさせて下さい」
と言っているようなもの。

司法書士を施術したら、なぜ無料で法律相談をしなければならないのでしょうか。
お金を払って施術を受けて、しかも法律相談まで要求。
いくら信頼のおける社長からの紹介でも、さすがに非常識すぎるという他ありません。
その時が最後の来院でした。

読んでいるものを、手を止めて(つまり、こちらはお金を払っているのに仕事をせずに)音読する老婆。
「せめてウチでは気を休めて下さい」と言いながら、無料で法律相談を要求する整体師。

どちらも極めて非常識であり、顧客に嫌悪され忌避されても当然でしょう。

なかなか興味深いのが、サービスのクオリティ。
さすがに25年前の理容店はよく覚えていませんので、整体院の話に絞ります。

腕は悪く無かったです。
とにかく私は「硬い」らしく、様々な方から施術を受けては、
「これは酷い」
などと言われます。

この整体師にも、よく言われました。
その上で、強揉みしてもらい、体は楽になったのを覚えています。

つまり、クオリティ自体はそれほど悪くないのです。

それでも、二度と行きたいとは思いません。

話は変わります。
福岡のラーメン店に「味集中カウンター」というものを設置している、という話を聞いたことがあります。
隣の席との間に仕切りがあり、他の誰かと顔を合わせることがないような仕組みになっています。

非常に優れたネーミングです。
おそらく、本当の目的はこの「他の誰かと顔を合わせることがない」ということでしょう。
女性客が一人で来店しても、他の人の目を気にしなくてもよい、ということを目的にしているのだと思われます。
それをそのまま謳ってしまうわけにもいかないので、「味集中」なのでしょう。
ですが、本当のベネフィットは「一人の時間と空間を確保する」ことではないでしょうか。

人は孤独に耐えられない、と言われます。
現代社会においては、人と人とのつながりが希薄になりつつある、とも言われます。
だからこそ、東北・東日本大震災の後、「きずな」が取り沙汰されたのでしょう。

ただ、あえて言うのであれば現代社会においては、コミュニケーション量は多すぎます。
コミュニケーションとは、一対一で面と向かって話すだけではありません。
でなければ、メールやSNSでは「交流」と言わないでしょう。

ネットやスマホアプリも含めたら…人は、コミュニケーション量に圧倒されています。
かなりオーバーフロー気味です。

だからこそ、
「味集中」の名の下の「一人の時間を確保して気を休める」ことに価値が有るのでしょう。

ことわざに、「沈黙は金、雄弁は銀」という西洋のことわざがあります。
「沈黙は金」とだけ表現することもあります。
※「沈黙は金なり」は、「時は金なり」と混同したものであり誤用です。

意味は「何も語らず黙っていることは、すぐれた雄弁よりも大切であるということ。」です。
(故事ことわざ辞典より)

例えば、セールスマンなどは、しゃべりすぎるよりも、聞き手に徹したほうが成約率が上がる、とはよく言われます。

けれど。
現代社会においては、また違った意味に聞こえます。

沈黙の定義は次のとおりです(デジタル大辞泉)
1 だまりこむこと。口をきかないこと。
2 音を出さないこと。物音もなく静かなこと。
3 活動をせずにじっとしていること。

「沈黙は金」の定義は、1の意味として使っています。
ですが…今の時代の「沈黙は金」は、2の定義のほうがより適切かもしれません。

例えば。
整体院に行きます。
はじめに施術の指示をしたら…終わるまで音はありません。
「味集中」
ではないですが、自分の体の状態に注意を向けることができるので、自然治癒力も高まることでしょう。
あるいは、会話することがないので、気が休まります。

今の時代は、「ぶい〜ん」というちょっとしたバイブレーションの音にも敏感に反応してしまいます。
音のない環境で気を休めることが、「金」…すなわち、「価値」があると言えます。

単純に
「話しかけない」
と言えばそれだけかもしれません。

ですが、その奥にある
「人はコミュニケーションのオーバーフローに疲れている」
ということに注目して、そこを癒やす…という立場に立ったならば…
「沈黙」も選択肢の一つに入ってくるかもしれません。

もっとも、コピーライターとしては、
「               」
ではコピーではないし価値にもならないので、なかなか応用しづらい考え方です。

学べることとしては、
「話したほうがいいよね」
と、当然の前提に立たずに、顧客の状態にきちんと目を向ける、というところでしょうか。

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