続・「時間と価値の比例」を呪縛をいかに打ち破るか

続・「時間と価値の比例」を呪縛をいかに打ち破るか

続・「時間と価値の比例」を呪縛をいかに打ち破るか
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先日書いた記事で,いくつかコメントをいただきました。そのコメントを受けて,その補足を今日の記事とします。

さて,カルネアデスの板というものをご存知でしょうか。

定義【カルネアデスの板】(デジタル大辞泉)
古代ギリシャの哲学者カルネアデスが提起した問題。難破で洋上を漂流する者が、一人しかつかまることのできない板を他者から奪い取って生き延びた場合、この行為は正当といえるかどうかというもの(以下略)

ある意味,究極の命の選択とも言える状況です。

比喩表現というものは,多少大げさなくらいのほうがわかりやすいので,カルネアデスの板を例に紹介します。

ちょっとした架空の物語にお付き合いください。

あるカウンセラーが居るとします。
本気で自殺を考え,すでに準備も終え…
一縷の望みを掛けて,そのカウンセラーに電話してきたとします。

そのカウンセラーにとって,知る術はないのですが,同じ時間に,このように自殺寸前まで追い込まれた人が電話をしてきました。

もちろん,電話には一人しか出られません。

カウンセラーの立場からわかるのは,今電話に出ている人が,自殺を本気で考えている,ということ。
あとは,電話にキャッチホンの機能がついていて,着信があったことはわかる,ということです。

このキャッチホンによる着信通知は,20分おきに3回鳴り…そこで停止。
90分話し込んでから,折り返し電話したけれど,つながらない。

翌朝,ニュースで自殺報道を見つけるとします。
遺書に,「一縷の望みを懸けて,カウンセラーに3回電話したけど繋がらなかった…だからもう諦めて死ぬことにしました」
などといった内容まで公開されたとします。

さて,この場合,自殺してしまったことは,誰の責任なのでしょうか。
考えてみてください。

いかがでしょうか。
もちろん言うまでもありません。
自殺した人の責任です。最終的に自殺という選択をしたことに責任があります。
次に責任があるのは,自殺まで追い込む要因を作った者です。
わかりやすいところでは,いじめやパワハラ,ブラックな過重労働などで,「死んだほうがマシ」とまでメンタルを追い込んだ存在です。

つまり,カウンセラーには,法的責任も,道義的責任もありません。
だいたい,遺書の「3回電話した相手」が,この登場人物であるカウンセラーかどうかもわかりません。

ここでの本当の問題は,カウンセラーが,後からそれを知った時に,
「罪の意識」
を感じずに済むかどうか,という点です。
もしかしたら,55分で話を終えていたら,3回目のコールで,電話に出られたかもしれない。その人を救えたかもしれない。そう思って自分を責めてしまわないかどうか,というレベルの話です。

もう一つの論点が,命の選択です。
キャッチホンで,電話が掛かってきているのがわかっているのだから,先に掛かってきた電話を切り上げて後からの電話を出るか,後の電話を無視して先の電話に対応するか,という話です。
カルネアデスの板とはちょっと違いますが(自分の命と他の生命を天秤にかけているわけではないので),命の選択のなっている【可能性】がある,ということです。
あくまでも可能性です。なぜなら,後から掛かってきた電話の主も,自殺を真剣に考えている,ということはこのカウンセラーには知る術がないからです。

繰り返します。
比喩表現は,大げさなくらいのほうがわかりやすいので,命の選択というシチュエーションで紹介しました。

命の選択とまでは行かなくともあなたの選択が,もしかしたら潜在顧客を不幸にしている可能性は,十分にある,ということです。
私は常にこのことは頭から離れません。
先日の話では,時間と価値は比例しない…という話でした。
本気で問題解決をするのであれば,必ずしも時間を掛ける必要はないはずです。
つまり,極論を言えば,5分で問題が解決したならば,5分で話を終えればいだけの話です。

5分で話が終わるなら,6分目以降に,また別の方を対応することができるからです。

つい,時間を長く取ったほうが喜んでもらえるから…と,時間を引き伸ばしてしまう,ということは,対価も受け取らずに,時間を浪費している,ということです。そして,その人のサービスを心から必要としている人を犠牲にしている,ということでもあるのです。

だから「選択」が必要なのです。
今目の前の方のために,いくらでも時間を費やす,という選択。
もう一つが,5分で済むなら5分で終わらせる,という選択です。

前者は,ぶっちゃけお金にはならないでしょう。そして機会損失も多々起こることでしょう。
そこまでしてでも,その顧客に貢献したいと思えるかどうか,ということです。

もし,後者を選択したいけれど,どうして良いかわからないから前者になってしまっている…ということであれば,テクニックで解決すればいいだけの話です。

技術を高め,短い時間で顧客の問題を解決できるようになること。
これが一つです。

もし,解決した後も,顧客が食い下がってきたら,
「では,その点についてはまた次回にしましょうか」
と,予約を受け付ければいいのです。

他にも,
「この後,次の予約があるので」
とか,
「1件は1件で処理しないと,いろいろとまずいので…」
とか,理由はいくらでも考えられるでしょう。

後は,選択するかどうか,です。

一人の顧客に尽くして尽くして…大してお金にならずに疲弊するか。
短い時間で顧客に喜んでもらい,多くの顧客に囲まれ,収益アップを目指すか。

どちらがいいか,という話になるのです。
「時間と価値は比例する」
という考えを【脱却したいけれど脱却できない】のであれば,他の顧客を犠牲にしているかもしれない,という考えを抱いてみて下さい。

あなたがよりアップスタッツな明日になりますように。
セールスコピーライター 飯山陽平

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