二度と無いチャンス

二度と無いチャンス

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今日も平日から事務所を離れてのびのびしています。
場所は、エアポートラウンジ。
実に仕事がはかどります。

ふと集中が途切れた時に、ラウンジ内のテレビからサイレンの音が聞こえてきました。
この時期は春の全国高校野球。
ちょうど試合が終わったタイミングだったようです。

さて、今日は高校野球の話です。
アメリカなどでは、日本の高校野球人気が不思議で仕方がない、という話もあるそうです。
なぜなら、しょせんはアマチュアの学生野球です。
どうせ見るなら、メジャーリーグの試合の方がいいではないか、ということのようです。

ですが、日本では高校野球は一定の人気を誇り、それなりの年月、継続しています。
高校野球観戦だけではなく、コンテンツのお題としても高い人気を誇っています。

200万部以上も売れた、いわゆる「もしドラ」。
漫画だったら、あだち充の「タッチ」あたりが有名でしょう。

コンテンツまで踏み込むと話が広がってしまうので、そこは割愛して話を戻します。
なぜ、高校野球は人気なのか。

これはあくまでも私の推測です。
それは「二度と無い」からではないでしょうか。

よほどの強豪校であったとしても、翌年に出場できるとは限りません。
そして、試合は勝ち抜き戦のトーナメント方式。
その試合に負けると、敗者復活戦はありません。

その試合、その打席、その一球が、
「二度と無い」
のです。

これが、プロ野球との決定的な違いです。
休日にだらだら一日を過ごしながら、昼間に高校野球中継を観て、夜にプロ野球中継を見た時に、その緊迫感の違いに戸惑いを覚えました。

他にも高校野球名物が9回の攻防。
ある意味プロ野球選手ほどメンタルが整っているわけではありません。
プロ野球では1点差で9回を迎えた場合、その1回を完璧に抑える、という9回を投げる専門のピッチャー、いわゆるクローザーがいます。

けれど、高校野球でクローザーがいるチームはどれだけあるのでしょうか。
春はともかく、夏の大会など、炎天下で百球以上投げ込んだ上で9回を迎え、疲労を抱えたまま、あともう少しで勝てる!…と思った時に気が緩んで、5点差6点差…場合によっては10点差がそこでひっくり返ることもあります。

これが高校野球の醍醐味といえるでしょう。

プロ野球は、そこまでの緊迫感はありません。
今日ボロ負けして、明日大勝することもあります。
それは興業ならではというところでしょうか。

今はもう無いのですが、かつて日本のプロ野球でもプレーオフ制度があった時があります。
シーズンが終わった時に、3位と2位のチームが試合をして、先に3勝したほうが、1位のチームと戦います。そして先に4勝したほうが、
【そのシーズンに優勝する】
というものです。

つまり、勝ち抜いたチームと1位のチームが戦い、その結果が優勝を左右するわけです。
3勝3敗で迎えた7戦目。
その1試合の中継を見たことがあります。
文字通りこの試合の勝者がこの1年のすべてを決めるのです。
チームの成績が素晴らしく、勝率1位のチームだったとしても、この試合に負ければ、優勝を逃すということになるのです。

テレビ中継ではありましたが、すさまじい緊迫感が画面越しに伝わってきました。
この緊迫感は、まさに甲子園を超えるものでした。

ところで、プロの定義とは何でしょうか。
プロフェッショナルの略ですが、
「ある物事を職業として行い、それで生計を立てている人」
という意味になります。

言い換えると、対価を払ってもらっている以上、プロであるということです。
理屈の上では、
「プロの事務員」
「プロのサラリーマン」
「プロのOL」
という存在も十分にありえます。

さて、私達ビジネスパーソンは、当然プロです。
そして、ありがたいことに、アスリートほどのシビアな競争はしなくても、報酬を得ることができます。

例えば、オリンピック選手の、100分の1秒を争う世界で戦う必要はありません。

野球選手のように、ボール半個分を投げ分けるだけの努力もいりません。

それでも、仕事をして報酬にすることはできるのです。

だからこそ。
たまにでいいので、思い出さなければなりません。
高校球児のように、「二度と無い」かもしれないという背水の陣で望んでいるでしょうか。

書類1枚作成するときに、
「二度と修正できない」
くらいの覚悟で取り組んでいるでしょうか。

その商談の機会。
「この商談がうまく行かなくても、次があるから」
と思っていないでしょうか。
確かに、他にも見込み客はいるかもしれませんが、その目の前の人との商談のチャンスは、二度と無いかもしれないのです。

ある仕事がうまく行かなかった時に、
「もう一度やらせて下さい」
などという人がいるかもしれません。
その意図はどのようなものなのでしょうか。
当然、
「二度目」
がある、という前提になっていないでしょうか。

もしかしたら、たまたま訪れて、このブログを呼んでくれた人がいるとします。
また違う日のブログを読んでいたいかどうかは、この記事にかかっています。
その二度と無いチャンスが、ここにあるかもしれないのです。

このように考えると、自分の一言一句について、非常に緊迫感をもなたなければならなくなります。

少し思うところがあって、自分の気を引き締めるために書きました。
この記事が、他のだれでもないあなたのお役に立てることを願っています。