世間を賑わしている、フォルクスワーゲンの問題。
ディーゼルエンジン車の排気ガスにつき、基準を満たしているかのように見せかけており、実際には基準に到達していないという話です。
詳細は、今日の本筋から逸れるので、脇に置いておきます。
問題は、このフォルクスワーゲンの不正によって、ディーゼルエンジン車全ての信用が落ちた、ということです。
具体的な名称は出しませんが、今回の不正発覚直後、他社のディーゼルエンジン車につき、新車発表会がありました。
そこで、テレビ局のキャスターが、
「(この車については)不正は無いですか?」
と尋ねました。
このような単刀直入過ぎる質問も、どうなのかな…と思いつつ。
会社側は、
「内部調査しましたが、不正はありません」
との回答です。
さて。
これが今日のテーマです。
仮に、A社の車がディーゼルエンジンだとします。
A社が、
「当社の車は、不正していません」
と言ったところで、信ぴょう性はあるのでしょうか。
これが、今日のテーマです。
まずはじめに触れておくべきところ。
それは、
「無いことの証明はできない」
ということです。
俗に、
「悪魔の証明」
などと言います。
悪魔が存在するかどうかについては、実際に一体の悪魔を捕獲することによって、証明することができます。
ですが、悪魔が存在しないことについては、証明しようがありません。
世界中の全てを捜索したけれど見つからなかったからといって、それは存在しなかったから見つからないのか、あるいは単に見つけられなかっただけなのかが判別つかないからです。
「ない」ことの証明はできないのです。
話を戻します。
ディーゼルエンジンの排気ガス基準について、不正をして「いない」ことの証明はできません。
どれだけ尋ねられ、「不正をしていない」と言い張ったところで、意味はありません。
この場合、意味がある、とは
「信じてもらえるかどうか」
ということです。
自ら不正をしていない、と力説したところで、どれだけ信ぴょう性があるでしょうか。
ならば、どうするべきか。
これは
「基準を満たしている」
ことを証明すればいいのです。
とはいえ、やはり同じ問題が生じます。
自ら「基準を満たしている」といったところで、信じてもらえるものでしょうか。
信じてもらえなければ、やはりどれだけ力説したところで意味は無いのです。
ではどうすればいいのか。
「信じてもらえる」であろう人から言ってもらえばいいのです。
例えば、排気ガスの基準ということであれば、一定の科学技術を持っているであろう研究機関に証明してもらうのが一つでしょう。
「何を」信じてもらいたいかによって「誰に」証明してもらうかが変わってきます。
例えば、社会的信用があり、かつ権威もあるであろう存在、弁護士。
弁護士に、排気ガスの基準をクリアしているかどうかを証明してもらう、ということは効果があるのでしょうか
「さすがに嘘はつかないだろう」
とは思われるかもしれませんが、科学技術を持っているであろう存在とはいえないので、信ぴょう性はいまいちというところでしょう。
あるいは。
ラーメン店の、新作メニューが、どれだけおいしいのか。
この点を、税理士が証明したところで、ちぐはぐ感は免れないでしょう。
「年間でラーメンを300食以上食べているラーメン専門家」
といった人が
「このラーメンはうまい」
と言う方が、信ぴょう性が出るのではないでしょうか。
あるいは。
女性向けのネイルサロンについて、その技術の確かさと、サロンの快適さを、男性の歯科医師が証明したところで、より胡散臭くなるだけでしょう。
「誰に」「何を」証明してもらうのか。
現時点で誰からも証明してもらえていないのであれば、一度考えてみて、然るべき「誰か」に頼んでみてください。
最後に。
コピーライティングにおいて、この証明…あるいは証拠をどれだけ集められるかが鍵です。
証拠を揃えるのをサボるとどうなるのか。
証拠以外で信じてもらうために、いろいろと手を打つことになり…例えば煽りや心理トリックを駆使し…ますます怪しくなっていくだけなのです。
怪しいテクニックで信じさせようと努力するよりも、単純にお客様の声を1つ2つ載せるほうがよほど信ぴょう性が出るのです。
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