コンサルタントとして感じるその怒りは誰の責任?

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こんにちは。
アップスタッツ合同会社の代表,
経営軍師の飯山です。

 

 

今日は…
若干,目に見えない世界の話に
突入します。

 

嫌いな方はここで離脱して
いただくとして。

 

 

日頃から,
屁理屈ばかり言っている私が
どんな目に見えない話をするのか,
興味ある方は
最後までお付き合いください。

 

 

お題は…

コンサルタントとして感じるその怒りは誰の責任?

です。

 

クライアントを前に,
いろいろと思うこと。
今後,どう在りたいのか
についてお伝えします。

 

 

良いコンサルタントの在り方

 

 

 

これは,
以前に誰かから聞いた話です。

 

 

良いコンサルタントとは
どういう人か。

 

 

靴の中に,
画鋲が入っているときに,
その靴を履こうとする人を
止める人ではない。

 

画鋲入りの靴を履いて,
痛がっている人に対して

「かわいそうに…」

と哀れみ慰める人が,
良いコンサルタントである

 

 

なんて話,らしいです。

 

 

私は,
この話を聞いたときに,
そんな馬鹿な!
…と思ったのですが。

 

クライアントとの関わり方を
振り返って考えてみると,

「ああ,あながち間違ってはいない」

と思うようになりました。

 

 

なぜでしょうか。

 

 

コンサルティングの本質

 

 

たとえば,
画鋲入りの靴を履こうとする人に,

 

「その靴,
画鋲入りだから
履くのをやめたほうが良い」

 

…とアドバイスしたとします。

 

 

本当に画鋲入りの靴であれば,
それで問題ないんですけどね。

 

 

コンサルティングというものは,
そのような甘いものではありません。

 

 

なぜなら,
コンサルティングの本質は,

「本人が見えていない,
気づいていない盲点について
フィードバックすることで
新たなアイディアをもたらす」

ことに意義があるからです。

 

 

実際,
私自身が,
コンサルティングを受ける立場に
回ることで,
実感することが多々あります。

 

どういうことか。

 

ここ数年…
私が

「知らない」

ことをアドバイスされることは
ほとんどありませんでした。

 

見方を変えると,

「すでに知っていること」

ばかりをアドバイス
いただくわけですね。

 

そして私は,

「あ!なるほど…」

と思うわけです。

 

 

知っている内容を
アドバイスされているにも
関わらず,です。

 

解決策が
10個あるうち…
私は
3番目の手段がベストだと
思っていたとしても。

 

得てして自分のことは
的確に見えないし
判断できないもの。

<参照>

 

 

 

3番目の手段は
リスクがあるということ。
そして,
5番目のほうが
ベストである
ということ。

 

そんなアドバイスを受ければ…
私は
「5番目の方法論を知っている」
としても,
「あ,なるほど」
と思うわけですね。

 

つまり,
知っているけれど
「見えていないもの」
をアドバイスされたのです。

 

 

さて。
話を戻します。

 

 

靴の中の画鋲。

 

それは,
「私には見えて
履く本人には見えていない」
ものだったとしたら…?

 

 

その靴を履くのを
やめるように
言ったら…

 

私はきっと,
こう思われるでしょう。

 

「こいつ,何言ってるの?」

 

 

…と。

 

 

本人には,
画鋲は見えていませんからね。

 

 

このように,
私には見えていて,
本人には見えていない…

 

 

自分を傷つけるような
愚かな行為をする人を
目の前にして,
アドバイスをしたときに…

 

「こいつ,何言ってるの?」

 

と言われたら…

 

私は怒りの感情をいだきます。
さて,この怒りの感情の源,
そしてそれは誰に向けたもの
なのでしょうか。

 

 

こいつは馬鹿だから仕方がない

 

 

…と,クライアントを
見下してしまうかもしれません。

 

あるいは,
怒鳴り散らして,
その靴を取り上げる,
なんてことをやるかもしれません。

 

いずれにしても,
クライアントにしてみたら,
非常に不快を抱く
でしょうね。

 

そして…

「アドバイスしたのだから,
そのとおりに従わない
本人が悪い」

 

あるいは,

 

「痛い目に遭うくらいなら,
怒鳴りつけてでも
言うことを聞かせたほうが
本人のため」

 

 

…という

正当化

をするかもしれません。

 

 

 

そんなことをするくらいなら…

画鋲入りの靴を履いて,
足裏が血まみれになった後に

「かわいそうに…」

と言って慰めてあげる。
このほうが合理的である。
…というコンサルタントが
出てくるのかもしれませんね。

 

 

目に見えないものが見える辛さ

 

 

裸足で画鋲を踏んづけたことは
あるので,
その痛みは知っています。

 

が。

 

まあ,画鋲くらいならまだマシです。

 

 

これは聞いた話です。

 

ある人が,

「あと半年後に死ぬよ」

なんて別の人に言った,
ということです。

 

そして,
実際に半年後に亡くなったそうです。

 

私達にしてみたら
目に見えない世界ですね。

 

たとえば,
車を見ると,

「金属でできている」

くらいのことはわかります。

 

そして,
ヘコでいれば,

「ぶつけて凹んでいる」

ということもわかります。

 

が。
車のプロであれば,
「金属」
の具体的な内容とか。

 

走ったときの
「音」
で,異常がわかる人もいます。

 

 

同じように…

 

 

人の体は

「食べ物」

…すなわち,摂取したもので
構成されているわけです。

 

ということは,
顔を見ただけで,
その人が何を食べてきて
その顔が作られているのか。
表情や目の動き,
シワや角度などから,

 

「あと半年後に死ぬ」

 

 

なんてことも
分かる人には分かるでしょう。

 

けれど,
見えない人には見えない。

 

 

自分の愛する家族であれば,
何がなんでも食い下がって…
出来うる打ち手をうつかもしれません。

 

が。

「知り合い程度」

の人間関係において,
そこまで踏み込むべきかどうか。

 

 

でも,踏み込まないと
半年後に死ぬ…
ということも
わかってしまう。

 

 

これは,
辛いでしょうね。

 

 

なぜ医者は地位が高いのか

 

 

ものすごくぶっちゃけます。
医者がこれを見たら
激怒するでしょうね。

 

医者の知識経験スキルでは
人を健康にすることなど
できません。

 

 

むしろ,不健康な病人を
大量生産しているだけ。

 

実際,
医療技術が日進月歩で
進化しているにも関わらず,
医療費が年々増えていることから
明らかです。

平成29年度 国民医療費・対国内総生産・対国民所得比率の年次推移
(出典 厚生労働省)

 

この青い棒グラフの
右肩上がり具合は,
いかに
「医療費が増大して
国民が不健康になっている」
かという根拠と言えます。

 

 

なので…
医者は国民の健康に
貢献しているわけではありません。

 

医者が高い地位を以て
尊敬される理由は別にあります。

 

それは…

 

自分を頼ってすがってくる人に,

「私はあなたを助けることは出来ません」

という立場にあることです。

 

これほど辛いものは
他にあるでしょうか。

 

 

たとえば,
私がコンサルタントとして
売り上げ低迷の会社を
コンサルティングして…

 

でも,回復出来なかったとします。

 

昔,経験したことはありますが,
未だにそのことは思い出しては
ため息が止まりません。

 

が。

 

それでも
「死ぬ」
ことはないでしょう。

 

ですが,
医師は
「死の宣告」
をしなければならないのです。

 

「私では助けられない」

 

と言わなければならないのです。
本人や家族の
「絶望」
に直面させられるのです。

 

 

特に,災害現場で
「トリアージ」
を体験した医者は…
一生,うなされるかもしれません。

 

想像を絶するレベルの
苦悩を抱くことになるのでは
ないでしょうか。

 

 

それだけの
過酷さが要求されるから,
医者は高い責任と引き換えに
地位と尊敬が寄せられるのでしょう。

 

 

 

それに比べたら,
私はまだまだぬるいと言えます。

 

 

怒りは自分の無力さの責任転嫁

 

 

私は,
人の生死まではわからないですが,
コンサルタントとして,
経営者の行動を見ていると,

「破滅に向かう」
「繁栄に向かう」

くらいのことはわかります。

 

 

だから,

「世間一般的には妥当」

に見えるかもしれない,
けれど,
その会社にとってみたら

「猛毒となる行動」

をしている経営者を見ると…

これはなかなかつらいですね。

 

 

特に,
クライアントとして
お迎えした方が,
全然,アドバイスに従わず,
やればやるほど会社が
破滅に向かっていく様を見ると,
怒りすらわきます。

 

 

では,
その怒りは誰の責任なのでしょうか。

 

その怒りは,
正当化と責任転嫁…という他ありません。

 

 

結局は,
自分の無力さ,無能さに
直面したくないから
怒るしかないのです。

 

クライアントが,
アドバイスどおりに行動しない。
その結果として,
破滅に向かっている様を感じる。

 

そのときに感じる怒りは,

「クライアントが
実行する気にならない
アドバイスをした」

という自分の落ち度への
責任転嫁だと言えます。

 

 

あるいは…
アドバイスを受け入れる気のない人を
クライアントに迎え入れた
自分の責任転嫁だと言えます。

 

だからといって,
画鋲入りの靴を履くのを
目の前で止めもせずに,

「ああ,かわいそうに」

と慰めるような人…

 

すなわち,
巷にあふれる。
場当たり的なテクニックだけで
何ら本質的な解決につながらない
ノウハウを売るような人と
同じにまで堕ちる気にもなれません。

 

 

だとしたら…
実力をつけるほかないですね。

 

 

約1年,
二人三脚で歩んできた結果,

 

「成果は出せたけど
成長にはつながらなかった」

 

まま,契約を終了する
クライアントを前にして。

 

ようやく
言語化できたのでまとめました。

 

今後は,
クライアントを,より

「やる気になるアドバイス」

できるように。

 

あるいは,
目の前の売上に気を取られて,
実行する気のない人を
クライアントとして
お迎えしないように。

 

心がけていきたいものです。

 

 

あなたがよりアップスタッツな明日になりますように。
アップスタッツ合同会社 飯山陽平

 

 

追伸

そのためにも,
今後は直接のコンサルティングを
いきなり提供するのではなく,
まずはしっかり成果につながるような
講座とサポートに力を
入れていくことにします。

 

 

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