そろそろ、母の日の贈り物の準備をしなければなりません。
毎年、この時期になるとなかなか頭の痛い問題です。
「何が欲しい?」
と訊くと、
「気持ちだけで十分」
という返信が来るのみ。
だからといって、下手なものを贈ると、嫌味の一つや二つや三つで済めば御の字。
非常にモチベーションが下がる、憂鬱なイベントです。
何かリクエストしてくれたほうが、よほど対応しやすいものです。
世間では、
「母の日キャンペーン」
を展開しています。
何年か前には、そういったキャンペーンサイトを見たりもしたのですが…そこで選んで贈ったもので、ずいぶんと痛い目にあったので、ここ何年も見ていません。
さて、何でこんなことを書いているのか、といえば、
【ここに痛みがある】
からです。
痛みとは物理的な、肉体的なものに限りません。
何らかの精神的苦痛も、文字通り痛みなのです。
そして、抱えている問題が解決できずに困っていること。
これも痛みなのです。
人に何を贈ったらいいのか。
この悩みは、なかなか解消されることはありません。
なぜでしょうか。
それを解決する人がいないからです。
正確には
「解決してくれる」
と信じるに足りる存在がいないからです。
極端な表現をします。
私 「贈り物に何を選べばいいのでしょうか」
お店側「当店の商品なら何でも大丈夫です」
こんな感じでしょうか。
贈り物をアドバイスする側が、自社の商品を売りたいあまりに、
「それはあなたが売りたいもの」
であって、
「贈り物に最適かどうか」
がわからないのです。
問題の解決にはつながらないのです。
とはいえ、ここに商機があるのも確か。
「必要は発明の母」
という表現があります。
同じように、
「誰かの痛みや問題は、他の誰かの商機でもある」
のです。
ただ、せっかくの商機をいかしたサービスが「無い」ので、結局問題は解決されていないのです。
少々話がそれます。
「無い」
とはどういうことでしょうか。
例えるならば、ネットで検索した時に、2ページ目、3ページ目に表示されるWEBサイトのことです。
WEBサイト自体は存在します。
ですが、検索を掛けて2ページ目や3ページ目まで見ることはどれだけあるのでしょうか。
見られなかったなら…文字通り、それは「無い」も同然なのです。
同じように、私の悩みを解決してくれるサービスはあるのかもしれません。
ですが…それが「私に」知られていない以上「私にとって」は「無い」のです。
話を戻します。
この商機を活かしきれていない理由は2つです。
1つは…仮に、商機を活かした素晴らしいサービスがあったとしても、それが知られていなければ意味がありません。
広告宣伝やプロモーション上の問題になります。
もう一つの問題。
それが今日の本題です。
それは「信用されない」ということです。
結局、
「あなたの問題を解決しますよ」
というメッセージではなく
「まずはウチの商品を買ってください」
というメッセージが届いてしまっているので、信用できないのです。
ではどうすればいいのか。
非常に乱暴な回答となります。
それは、「信じてもらうために必要なことを行う」という他ありません。
こうすればいい、と書くことはできません。
なぜなら、人々は、
「ノウハウ」
「テクニック」
にさらされつづけて、うんざりしているからです。
例えば、ラポール(信頼)形成のためのテクニックの1つ、ミラーリング。
相手と同じような振る舞いをすることで、信頼感を作り出します。
例えば、向い合って話をしている時に、相手がコーヒーを飲めば自分も飲み、相手が自分の膝の上に手を置けば、自分も置く。
ただの猿真似です。
こんな安っぽいテクニックを使って、相手の信頼を勝ち取ろう…というその発想そのものに、人はうんざりしているのです。
人を人として見ること無く、データや数字だけで判断され、個性が無視され、十把一からげに扱われ続けたからです。
見込み客は怒りを通り越して哀しさの、その先の無気力に陥ってしまっています。
私は十把一からげに扱われたくありません。
きっとあなたもそうでしょう。
だから、私もあなたを十把一からげに扱うわけには行かず、そしてそのような、人を十把一からげに扱うようなノウハウをここで書くわけにはいかないのです。
安易な解決策は、ネットを検索すれば、いくらでも出てきます。
ですが…それでいいのでしょうか。
その上で、もう一度書きます。
どうすればいいのか。
それは、「信じてもらうために必要なことを行う」という他ありません。
テクニックやノウハウを一旦脇において、一人の人間として、一人の人間である顧客や見込み客に真摯に向き合う。
結局はこれしかないのでしょう。
それを
「どうやって?」
と聞かれたら、その質問自体が論外だという他ありません。
そろそろ連休です。
時間がある人は、これを機会に、考えてみてください。